「勧められたから」ではなく「自らが望む」医療を選択する

全摘術の術後合併症としては腹腔内膿症や腸閉塞(イレウス)などで、腹部の手術において一般的に見られるものがあります。最大の合併症は「手術死」で、裏口退院する率は1~4%にもなり、高齢であるほど死亡率は高くなります。別の合併症は、性機能の喪失・低下で、女性は膣まで切除されてしまう場合があります。それらの合併症を別にしても日常生活の悪化の最大の原因は、膀胱を切除した結果、必然的に起きてくる尿の処理の問題です。
そのために下腹部の皮膚に集尿袋を装着する必要があり、時々袋に溜まった尿を捨てる作業も煩雑です。しかも袋と皮膚の接着部位が少しでも緩むと、尿が漏れてしまうので細心の注意が必要です。また種々の刺激で皮膚がかぶれ、かゆみが生じます。かゆみは非常につらいものです。集尿袋の装着場所は変えることができないために、その部分の皮膚のかぶれを治癒させることは難しく、かゆくてたまらないのに引っかくこともできない、しかし無意識のうちにかいて痒みを悪化させるという、悶々とした状態が続くことになります。
生活があまりにも変わってしまうために患者は通常、身体障害者と認定され、年金が支給されます。Gさんはがん放置期間中、年4回も海外旅行をしていましたが、全摘術を受けていたらそれが可能だったでしょうか。
泌尿器科医たちも、患者ができるだけ自然な形で排尿できるように工夫はしてきました。しかし十分ではなかった。・・・。このように膀胱を全摘すると、いろいろ工夫しても臓器機能を完全に回復することはできません。それはすべての臓器がんの手術に共通する一般則です。そのうえ全摘術までしたのに、浸潤性膀胱がんの予後は不良です。治療の目安とされる5年生存ができる患者の割合は、全国平均でも5割以下です。
泌尿器科医たちの放射線治療に対する無経験と無知
全摘術にはいろいろ問題があるために、ヨーロッパや米国では放射線治療が盛んです。報告論文を見ても、治療成績は全摘術のそれと同等以上です。排尿機能に関しては、自然に備わる膀胱に勝るものはないのは当然であり、そのことからも放射線が第一に選ばれるべき治療法です。・・・。
本来がんは転移する「本物のがん」と、転移しない「がんもどき」のどちらかなのです。
前者であればどのような治療をしても治ることはなく、後者であればかりにがんを放置しても死なないので、結局どういう治療であろうと治る率に変わりはありません。だったら膀胱を残す方法を選ぶのが得策です。それで万一腫瘍が残存すれば、そのとき手術を検討すればよい。ですから初回治療としての膀胱全摘術は必要のない時代になっていると言えます。
しかし日本の現状は、理想にはほど遠いものです。
浸潤性膀胱がんは100%、放射線治療ですむのに、それを知って実際に受けている人は、全患者のせいぜい5%程度と思われます。もっと低率かもしれない。そして大学病院やがん専門病院でも相変わらず全摘術だけを行ない、膀胱温存を可能にする放射線治療には見向きもしない泌尿器科が多いのです。
泌尿器科医が放射線治療を採用しないのは、実施してみて駄目だったからではなく、単純に行なったことがないのが一因です。それで私の乳がん患者から聞いた話ですが、父親が膀胱がんと診断された時、全摘術を勧められて断ったら、担当の泌尿器科医に「手術しても苦しむことがあるのに、手術しなければどんなに苦しむか分からない」と言われたそうです。その方は自分で地元の放射線治療科の治療の約束を取り付けたのですが、まもなく転移が出現し、しかも脳梗塞まで発症し、結局放射線治療を受ける機会がないまま亡くなられました。死亡後にその泌尿器科医は娘さんに、何も治療を受けない患者や放射線治療を受けた患者も診たことがなかったと話したそうです。
非常に率直な告白で、泌尿器科医たちの放射線治療に対する無経験と無知がよくわかります。このような日本で、浸潤性膀胱がんと診断されたらどう行動すればよいのでしょうか。本書の読者であれば真っ先に考えるのは、何かあったら私の外来を訪ねるというものでしょう。しかし私は2014年に定年を迎え、その後は診療に携わる予定がありません。ですから2010年末から、私は新たな患者の主治医になることを止めています。
2011年のある日、浸潤性膀胱がんの男性Jさんが、私の外来に相談に来られました。
Jさんは、都内の膀胱がん治療で有名な大学病院やがん専門病院の泌尿器科を何軒も回ったが、どこでも全摘術を勧められ、途方に暮れて私の外来に来たのでした。話を聞くと、放射線治療に好意的であったのが東京女子医大の泌尿器科ただ1軒だったそうですが、いざ治療を受けたいと言ったところ、手の平を返すように全摘術を勧めたというのです。
しかし、放射線治療に好意的であったというのだから脈はあるだろうと思い、私はその病院の放射線科の教授に「治療してあげて下さい」という紹介状を書きました。直接頼めば何とかなると思ったのです。ところがしばらくすると患者が戻って来て、教授に会ったが、「全摘術が標準治療だから、泌尿器科医の言う通りにしなさい」と言われたというのです。しかし、「あなたが強く希望するのであれば、やってあげないこともない」とも言われたと。
この状況からわかることは、こういう場合放射線科医は、泌尿器科に遠慮しているのです。もう少しはっきり言えばそこには力関係があり、患者を握っている外科医や婦人科医、泌尿器科医、耳鼻科医たちよりも放射線科医は弱い立場に置かれているので、言いたいことも言えずに黙っているわけです。それでJさんには、「放射線科医が積極的に治療を開始した形になるのはまずいので、患者自身の強い希望でしぶしぶ治療を始めたという形をつくる必要があるから、もう一度放射線科を訪ねて、どういう結果になろうとも構わないのでどうかお願いします、と再度言いなさい」とアドバイスしました。
Jさんはその後しばらく来られなかったので、1件落着かと思っていたら、ある時慶応病院の放射線科の外来治療棟でばったり会いました。なんでも向こうの病院で放射線治療をしてくれることになりはしたが、途中のやり取りが嫌になり、慶応の泌尿器科の門を直接叩いたという。泌尿器科では膀胱鏡で見ながらがん種瘤を削る手術をし、その後私とは別の放射線科の医者に依頼して治療が始まったところだと言いました。
Jさんが、希望通り治療が受けられるようになってよかったと心から思います。
ただ泌尿器科医が多分知らないことなので一言しておくと、膀胱鏡でがんを削る手術は、放射線治療の前には不要です。・・・。つまりがん種瘤が削り取られていると、そのために膀胱粘膜面が平らになってしまい、がんの部位だけを狙って精密な放射線治療をしようとしても目印がなくなり、精密治療が困難、あるいは不可能になる欠点があります。ですから本書を読んでいる泌尿器科医の方は、是非がん種瘤を削らずに残したままにしてください。
私はJさんの話を聞いて、実はほっとしました。
というのは慶応病院の泌尿器科では、かつて全摘術が全盛であり、中には患者から「切り裂きジャック」というあだ名をつけられた医者も在籍していたのです。それで私は膀胱がんの新患が来ると当院の泌尿器科に診せる気にはならず、しかし放射線治療をするには泌尿器科医の協力が必要でもあり、それで別の病院に患者を紹介していたのです。それなのに今回、泌尿器科医が放射線治療を自ら主導したのです。代が替わったからなのか、考え方が柔軟になったからなのか、いずれにしても喜ばしいことで、時代が動いている予兆でしょう。
というのも、私は乳がんの乳房温存療法で似たような経験をしているからです。
かつて乳がんは、乳房のみならずその裏側の筋肉までを全摘する「ハルステッド手術」が全盛でした。私が80年代に乳房温存療法を唱導し始めた頃は、温存療法の全国実施率はほぼゼロだったのです。そのことに憤りを感じた私は、「乳がんは切らずに治る―治癒率は同じなのに、勝手に乳房を切り取るのは、外科医の犯罪行為ではないか」、という論文を「文藝春秋」(88年6月号)に載せたので、外科医たちは猛反発。慶応の外科教授も激怒し、私の上司である教授を呼びつけて叱責しました。しかもどうしたことか、それに同調する放射線科医まで出現して、「近藤先生は医の倫理から外れているのでは」とまで言われました。
しかし私には確信があった。
それは、「乳房温存という道がある」という情報を得た患者たちが理性的に行動し、やがて日本の乳がん治療を変えていくと。そして実際に現在では、ハルステッド手術は廃(すた)れ、乳房温存療法が標準治療になってきています。その経験から、今回のJさんの行動は、膀胱がんで放射線治療が標準治療になる先駆けだと思われるからです。しかし問題は、放射線治療が標準治療になっていくのに何年、何十年かかるのだろうか、ということです。しかしそれはひとえに膀胱温存を求める患者たちが、どこまで自らの望みを貫き、かつ主体的に行動できるかどうかにかかっていると言えるのです。