世界の方向は臓器温存なのに手術に固執する日本の医者

がんというと腫瘤をつくるというイメージで考えがちですが、必ずしもそうなるわけではなく、本件の場合は早期がんで隆起型ではなくむしろ凹んだ病変です。ですから正常粘膜との境が判別しにくく、がん範囲の診断はなかなか難しい。本ケースの組織型は「腺がん」で、その中の「未分化がん」でした。未分化がんの対極にあるのは「高分化腺がん」でこのほうは比較的タチがよく、未分化がんはたちが悪い(生存期間が短い)といわれています。しかしその判断は正確ではなく、未分化がんの性質は大きく2つに分かれます。
一つは「スキルス胃がん」の前身としての未分化がんです。
スキルス胃がんのタチの悪さを衆目に示した1件に、逸見政孝さんのケースがあります。20年も前の出来事ですが、日本のがん治療に大きな影響を与えた事件なので簡単に振り返ってがんの性質論につなげます。1993年の秋に、当時大人気だったテレビ司会者の逸見政孝氏が突然テレビ会見をし、「自分は胃がんで手術したが再発した」「再手術を受ける予定である」と告白し話題になりました。その頃はまだがん告知がタブーとされていた頃で、患者本人が世間に向かって「がんだ。再発した」と逆告知するなど考えられないことだったのです。この1件が有名人の告白会見をする流れを作り、がん告知を弱める動因になりました。
逸見さんは定期的に年に1度、内視鏡検査を受けており、それで発見されたのです。担当医は早期胃がんと診断し、逸見さんに手術を勧めました。しかし開腹するとスキルス胃がんであることが判明し、すでに腹膜に転移していました。再発告白会見は、手術のわずか7ヵ月後であり、逸見さんは手術後まもなく腹部に再発したのでした。告白会見後に東京女子医大病院で行なわれた手術では、残胃、膵臓、小腸、大腸など3キロに及ぶ臓器を摘出しました。治る見込みはゼロなのにそのような大手術をするのは無謀だ、との批判を浴びました。そして実際に逸見さんは再手術後にすぐに再再発し、再手術後から3ヶ月後の、初回手術から10ヶ月に亡くなられたのでした。
実は本ケースの胃がんの内視鏡所見は、逸見さんのそれとほぼ同じと考えられます。逸見さんの正確な内視鏡所見は公表されてはいませんが、スキルス胃がんの組織型は通常未分化がんなのです。では本ケースは早晩スキルス胃がんに進行するのかといえば、そうではありません。それは発見後何年経っても進行せず、むしろ消えてしまったのがその何よりの証拠です。ですから2cタイプの未分化がんでも、スキルス胃がんに進行するものと進行しないものとに分かれるのであり、どちらになるかはがん幹細胞の発生当初ににすでに定まっているのです。
一方、逸見さんのケースでは、内視鏡で早期がんと見えたものの開腹したら腹膜転移が存在していたのです。腹膜移転が一つでもあれば治らないのは医学上の常識です。ですから逸見さんが治る可能性は最初からゼロだったのです。要するに逸見さんの早期胃がんは「本物」のがんであり、しかし本ケースの胃がんは「がんもどき」だと考えられます。「がんもどき」が圧倒的多数を占めるタイプもあります。がんが胃の粘膜上皮内にとどまる「粘膜内がん」がそれです。患者1000人を集めても、どこかの臓器に転移しているケースは1人いるかどうかという程度です。
この粘膜内がんは胃を切除せずに、内視鏡でがん組織だけを切除することができます。それで治るとされるのですが、本来が「もどき」であるので放っておいても問題はなく死ぬことはないのですが、切除したので「治った」と言うと患者たちに誤解を与えることになります。本来が「もどき」であるので、それゆえに上皮内にとどまる粘膜がんは、欧米では「がん」という診断すらされていません。良性を意味する「異形成」と診断されるのです。しかしそれを日本の医者たちは「がん」だと称して治療に追い込み、商売繁盛を図っているわけで、そういうおぞましい構造があるわけです。
それにしても早期がんを放置した場合、病変が大きくならないばかりか、がん細胞が消えてくるというのは読者にとって驚きでしょう。しかし実はそう珍しいことではなく、私が診てきたがん放置患者のうち、もう一人の早期胃がんが消失しています。以前、私が『患者よ、がんと闘うな』を出版した後、いわゆる「がん論争」が起きたのですが、そのとき「がん検診擁護」の立場から先頭に立った丸山雅一癌研病院内科部長(当時)は、次のように公言しています。「早期がんを3年放置してもほとんど変化しないということは、日本の専門家にとって常識以前のことです」と。
実際には、そんなことを言っていたのでは「がん検診擁護」にはならないのですが、要するに専門家たちは早期胃がんがなかなか大きくならないことや、本ケースのように消えてしまう早期胃がんがあることを知っているのです。「胃と腸」という医学専門雑誌のバックナンバーを読み込んでみれば、そういうケースがたくさん出てきます。であるにもかかわらず一般の人々がそういうことを知らないのは、医者などの専門家が話さないからです。なぜなら人々が知るようになれば、当然検診を受ける人々が激減するはずであり、それを怖れているからと思われます。
スキルス胃がんについても、一般の人々が知らないことがあります。
逸見さんが手術後10ヶ月で亡くなったことなどから、1年もたない、悪くすると数ヶ月だと人々は思っているはずです。最近もある有名人が、腹部症状があって検査したらスキルス胃がんが発見され、本人は「がんと闘う」といって入院したが、2ヶ月で亡くなった、という報道がありました。そして一般の人々からは、早くに亡くなったのはスキルス胃がんだから当然だ、と受け取られていたようです。
しかし実は、スキルス胃がんは手術さえしなければ、人々が思っているよりもずっと長生きできるのです。私はスキルス胃がんで手術せずに放置した患者を何人も診て来ましたが、1年以内に死亡した人はいなかった。逸見さんのようなスキルス胃がんでも、何年も生きた患者が何人もいます。胃の手術後、退院できたはいいけれどやせ細り、元気をなくしてしまう患者さんが多いのです。私はそもそも胃がんの手術で胃を全摘したり、大きく切除したりすることは原則として間違い(誤り)であると考えるに至っています。
他の臓器に転移している「本物のがん」ならば、胃を全摘しても治ることはありません。痛い思いをするだけ損です。しかも胃の全摘や大掛かりな胃切除などの手術によって、患者の体は甚大なダメージを被ります。それが食生活や通常の生活を大きく損ない、本来の寿命を縮めてしまうことになるのです。さらに問題なのが、日本の胃がん手術が胃の周囲のリンパ節を切除するリンパ節郭清(かくせい)、つまりごっそり切除してしまうことをルーチン化(当然行なうべき手順)としていることです。これが患者に大きな後遺症をもたらすことになるのです。
こうしたD2手術はこれまで表向きは、生存率の向上のためとなっていましたが、しかしすでにイギリスとオランダの臨床試験では、生存率の向上に寄与しないという結果が明らかにされています。それなのに未だに、D2手術に固執している日本胃癌学界は猛省するべき必要があるのではないでしょうか。
患者にとって重要なことは、がんの手術を受けると必ず、何らかの不利益」が生じることです。手術で臓器を切除すれば、生活能力が低下するのは避けられません。傷跡が開いてしまう縫合不全や出血、炎症など、手術に伴う不都合や、失敗などから生じる合併症や障害など、生活能力に重大な影響を及ぼします。
しかし現在、がん治療における世界の大勢は、可能な限り臓器を温存する方向へ向かっています。何が何でも手術で取り除くというこれまでのやり方は、がん患者の生存率向上に貢献しないばかりか、がん患者の生活の質を低下させてきたことは確かなことです。無治療のまま様子を見るという選択は、究極の臓器温存療法と言えるのかもしれません。