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マンモグラフィ検診で乳房全適術に追い込まれる女性たち

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マンモグラフィ検診で乳房全適術に追い込まれる女性たち

 ケース1 「がんを放置したが20年以上変化がない」

   『
会社員のB子さんが右の乳房に異常を感じ、大学病院の外科を訪ねたのは1990年4月のことで、46歳の時のことです。ところがマンモグラフィ(乳房のレントゲン撮影)で異常があったのは、右ではなく左の乳房でした。マンモグラフィ上の乳腺に「微小石灰化」(細かな白い砂がパラパラ撒かれたような映像)が写ったのです。

   その後B子さんは、メスで皮膚を切開して石灰化部位の一部を切り取る「生検」を受けましたが、病理検査の結果「がんの芽がある」と言われ、入院・手術を勧められました。つまり乳房全摘出手術をするというのです。しかしB子さんは手術を断り、切らずに治す方法を選らぶことにし、91年に知人が紹介した個人病院へ3ヶ月入院しました。B子さんは多くを語りませんが、民間療法に類したものだったようです。

   その頃私は乳房温存療法に関する本を出しており、B子さんはそれを読まれて92年に私の外来を訪れました。診察では、乳房にがんを思わせるしこりや腫瘤は触れず、まったく正常でした。しかし大学病院からの紹介状には、生検で「非浸潤性乳管がん」と書かれています。それは別名「乳管内乳がん」といい、癌細胞が乳管内部にとどまっているタイプの癌です。「腫瘍内に石灰化を認めます」とも書かれていました。

   B子さんは大学病院から病理標本をもらってきたので、慶応病院の病理医に再検査を依頼すると、やはり「非浸潤性乳管がん」との返事でした。「かなり広汎に広がっている。(生検での)取り残しの可能性が高い」と記されていました。もっとも本件では取り残しではなく、現実です。つまり①生検後のマンモグラフィでも、石灰化が3センチの範囲残っていること。②本件では腫瘍内石灰化が確認されていることから、石灰化部位にがん細胞が残っていることが確実なのです。非浸潤性乳管がんのケースでは、石灰化がない部位にまで癌細胞が乳管内を広がっている特徴があります。それが前の病院で、(がんの広がりを確かめたわけでもないのに)乳房全摘術を勧めた理由です。

   さてB子さんの治療ですが、私はこのタイプの癌は「がんもどき」と考えていたこともあり、治療をためらいました。もし手術を希望すれば乳房温存の手術をしてくれる外科医を紹介しようと思いましたが、B子さんは「手術は受けたくない」と。そこで様子を見ることにし、半年に一度受診してもらいその度にマンモグラフィを撮ることにしました。しかしそれから何年経っても何も起きない。つまりしこりや腫瘤が生じてこないので、乳房の診察は異常なしが続きます。マンモグラフィは何度撮っても石灰化は広がらず、何年経っても何も生じない。それで診察間隔は1年に1度となり、今では「そろそろ受診をやめたら」と伝えています。B子さんの慶応病院の初診時からすでに20年が経ち、最初の大学病院での診断からだと22年になります。』

 ケース2 「転移は、実はがん早期発見のずっと以前に生じていた!」

   『
1994年の春、購読していた「婦人民主新聞」に、近藤医師の「乳房温存療法」の記事が載りました。その記事に自己検診のやり方が書いてあったので早速試してみたところ、右の乳房に何か触れるものを見つけたのです。「これはがんかも!」と思った私は慶応病院を訪ねました。それは40歳の時でした。慶応病院では検査がすぐにはできないということで、近藤医師は慶応病院の近所で開業している同級生に超音波(エコー)検査を依頼し、その日のうちに結果を教えてくれました。

   直径がたった5ミリだったので、近藤医師は「こんな小さいの、よく見つけたね」と言い、心配ないが、経過を診て大きくなるようならまた来るようにと言われました。ちなみに50歳以下では乳房にできたしこりの8割は良性とのことです。しかし右胸のしこりは徐々に大きくなっていきました。大きくなっているのだからこれはがんかもしれないと思いましたが、私は受診しませんでした。1995年に父が膀胱がんにかかり、当時出ていた近藤医師の本を全部読んで、がんは一般に信じられているように早く切れば治るというものではない、ということを納得したからです。(近藤注:父親はその後、がんではなく別の病気で亡くなりました)

   私は仕事を休んで1日がかりで病院へ行くのが億劫ということもあり、その後6年間がんを放置していました。しかし最後の1年間は急速にがんが大きくなっていると感じ、2000年3月に慶応病院を受診しました。近藤医師に診てもらったところ、やはりがんで4×4・5になっていました。先生は、「前に来た時のことを覚えていますよ。ずい分ゆっくり大きくなったなぁ」と言われ、脇の下のリンパ節にも転移が数個あったので、すぐに治療することになりました。

   私のがん細胞は、いったいいつ誕生したのでしょうか?
   分かっていることは、癌細胞は分裂して倍、倍と育つこと、私の5ミリのがんが4×4・5になるまでの時間と、1個のがん細胞の大きさ(約10ミクロン=1ミリの100分の1)です。ですからそれらからがん細胞が誕生した時期を計算することができます。先生の本に計算の仕方が書いてあったので計算してみました。(近藤注:計算結果では、癌細胞の数が倍になるのに8ヶ月を要している) すると1994年に5ミリで発見した私のがんが最初に誕生したのは18年前で、私が22歳の時ということになります。

   また2000年には、腋の下のリンパ節への転移に気づいたわけですが、これを1センチとして計算すると、原発巣のがんの直径がわずか40ミクロン(0・04ミリ)の大きさの時に転移していたことになります。がんといえば「早期発見・早期治療」だと言われていますが、結局、それはがんの成長過程から考えると無理であるようです。』

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   私は乳房温存療法を唱導したこともあって一時期、日本の乳がん患者の1%を診ていました。その中には治療せずに様子を見たいという人もおり、希望に従い、無治療で経過を観察した患者はこれまで70人以上に上ります。その観察結果はおおむね前述のアンケート調査と同じで、大きくなる癌が大部分ですが、大きくならないがんも何件かありました。しかしアンケート調査には記されていない現象も経験しました、全体から見れば小数ですが、放置しているうちに縮小するケースや、消失するケースがあったのです。アンケート調査にないのは、おそらく診断が最後までつけられずに終わるからでしょう。

   特筆すべきはB子さんのような、しこりや腫瘤を作らないタイプの非浸潤がんです。
   そういうケースは何人も診ていますが、大きくなるケースはありませんでした。しかし中にはしこりを作るケースもあります。B子さんのような非浸潤がんは「がんもどき」の典型で、非浸潤がんケース全部が「もどき」です。縮小・消失するものはもちろんですが、増大するものも「もどき」と言えます。

   放置していても転移が出現しないことが事実的根拠なのですが、原理的根拠もあります。原理的というのは、がんは遺伝子の病気だからです。ですから最初に発生したがん幹細胞の遺伝子が、転移する能力を持っていない場合、その子孫の癌細胞も同じ遺伝子をを受け継いでいるので、いつまでも転移する能力を獲得できないわけです。浸潤できなければ転移できないことは当然なので、非浸潤がんは生来的に「がんもどき」と言えます。

   このように非浸潤がんは転移できないのですから、「がん」という名称は廃止にすべきなのです。そう主張するものは私以外にもおり、乳房温存療法の先駆者であるイタリア人外科医が「非浸潤がん」という名称を廃し、「良性病変」を意味する病名に変更すべきだと呼びかけています。(Lancet 2005;365:1727)

 マンモグラフィは受けてはいけない

   
ここでB子さんのようなマンモグラフィ発見がんについて検討しておきましょう。
   近年、マンモグラフィ検診が盛んになり、多くの乳がんが見つかっています。組織型には非浸潤がんが多いのですが、浸潤がんもあります。しかしどちらにしても、しこりや腫瘤がなくてマンモグラフィでしか見つからなかった癌は「もどき」です。ところが非浸潤がんは乳管内を広がる関係から、治療をするとなると乳房を全摘出されてしまうことが非常に多いのです。B子さんも最初の病院では、乳房全摘術を勧められています。そしてもしB子さんが乳房全摘術を受けていたら、放置・観察した場合のように「もどき」であることを証明できなかった。

   ですから外科医たちが、B子さんのようなケースで乳房全摘術を強気で推し進めるのは、「もどき」であることが露見するのを怖れる気持ちがあるからだと思われます。もどきであれば転移がないのは当然ですが、術後に再発・転移がないことをあたかも手術の手柄であるかのように喧伝(けんでん)し、その後の患者にも乳房全摘術を勧めるという悪循環がそこにあるのです。

   マンモグラフィ発見がんによると、50歳以下の女性に何らかの異変が見つかることが多いことも問題です。そのため多くの若い女性が、実際には「もどき」であるのに乳房を全摘されて泣いています。つまりマンモグラフィ検診さえ受けなければ、そういう目に遭うことはなかったのです。

   2009年11月、米国政府の予防医学作業部会は、「マンモグラフィによる検診は40代の女性には勧められない」とする勧告を出しました。それはがんを検出する精度が低く、誤った診断で不必要な組織検査を受けさせられるなど、デメリットが多いことが理由です。(2009年11月17日付「朝日新聞」)

   一歩は前進しましたが、まだまだ足りません。
   なぜなら臨床試験では、乳がん死亡を減らす効果も寿命を延ばす効果も認められてはいないのですから、マンモグラフィ検診は中止にすべきであり、その理由として死亡減少効果がないこととすべきです。ただ(すべての女性にとはせず)、40代の女性にと限った消極的な表現ではありますが、米国政府機関がマンモグラフィ検診を勧められないと公表した事実は重く受け止められるべきです。なぜなら乳がん罹患率が米国よりも低い日本では、より一層勧められないことになるからです。

   ところが日本の検診関係者はこの勧告を無視しており、相変わらずマンモグラフィの検診を推し進めています。そして有名芸能人や企業、一般人たちを巻き込んで
「ピンクりぼん運動」なるものまで推進するありさまです。しかしそうであっても、マンモグラフィ検診でしか発見できないものは、「もどき」なのです。したがって乳房を全摘された女性はピンクリボン運動の被害者なのです。そんな罪つくりな運動にかかわることも推進することも止めるべきなのです。

   近年、私は、マンモグラフィ発見がんで非浸潤がんと診断がつけられている人には、次のようにアドバイスしています。

   「乳がんと診断されたことを忘れて生活しなさい」
   「これまで受けた検診や生検、病理診断、外科医に言われたことはなかったことにしなさい」
   「もう2度と、マンモグラフィは受けないこと」
   「石灰化はいつまでも残るので、受ければ同じことの繰り返しになりますよ」と。



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