「がん放置療法」のすすめ 患者150人の証言
『ケース1』 「腫瘍マーカーが基準値を超えた」
『前立腺がんと診断されたのは、2004年11月で53歳のときのことです。
会社の検診で勧められて受けたら、採血検査の中にPSA検査があったのです。基準が4で、4・3なので微妙に高いと言われた。俺も最初、がんだと告げられたときは動揺したよ。53歳だったからびっくりして、死ぬというのが目の前に来た。でもその時3人の子どもの一番上がまだ中学生だったから、これはまだ死ねないよね。
しかし俺には変なこだわりがあってね。
何でも絶対、比較しなくてはあかんといつも思っている。電化製品を買うにしても、最低3ヶ所は見る。見積もりは3ヶ所やれと思ってる。それで、他の病院でも診てもらいたいと担当医に頼むと、すぐ紹介状をサーッと書いてくれた。それで次に近藤先生のところに受診した。3ヶ所目は行っていない。・・・。
最初の印象はすげぇ医者だなと思った。
普通の医者はグチャグチャしゃべるけど、先生はあんまりしゃべらない。この医者でいいのかなという不安がないわけではなかった。近藤先生は患者に判断させるわけですよ。こうしなさい、ああしなさい、とは言わない。逆に患者の側がある程度勉強しないと物事が進まない。でも何かやるといえば反対はしないと思うけど。先生は、もう一度PSAを測ってみよう、前と違うかもしれないし、と。しかし12・45と高くなっていて、これはまたビビッた。でもPSAが基準値よりちょっと高いだけで手術というのは滅茶苦茶だと思う。進行するのは遅いようでそんなに急ぐことはないな、と思った。
近藤先生は、それじゃぁ、半年後くらいにまた診てみますか、という具合だった。
その後は慶応病院へ半年に1回のペースで通った。不安は少しもなかった。俺自身そんなに進まないなというイメージがあったことと、近藤先生からいきなり「半年後」と言われたのでそんなもんかなと。それに自覚症状もなかったし。半年後に先生を訪ねてもPSAしか測らないし、それも微妙に上下するだけで、体はなんともないものね。
3つくらい見積もりをとるというのは、俺の人生の指針みたいなものだね。
1個だけだと誤魔化されかねない。俺には、急いでは損だなという考えがある。もう少し待っていたらもっとよい治療法が出てくるのではと思う。自分で何でも決めるというのでもないけど、近藤先生ものんびりしているというか、早くなんとかせいという感じがまったくないしね。でも近藤先生のところに行ってよかった。ほかの病院に相談に行ったら、治療を勧められてその気になってしまうかもしれないし。
医者は手術をしたくてしょうがない、と聞いていた。
とくに大学病院なんかに行けば絶対そうだからね。何があっても、切る、ということになってしまう。それはいかんと僕は思っていた。前立腺は手術をするのが大変なところです。ほかの患者さんが医者に勧められるままに、いとも簡単に手術を受けるのが俺にはびっくりだね。医者に脅かされて、手術を受けるのかなぁ。2014年に定年だから診てやれなくなると近藤先生から言われたけど、診てもらえるうちは診てもらおうと思っていますよ。』

本件の患者さんはまったく心配する必要はないのですが、「がん」と言われてしまったので、本人は死を意識している。「心配いらない」「がんを忘れなさい」と私は言うのですが、心理的に刻み込まれた恐怖や不安はなかなか追い払えないようで、外来にいつまでも通って来ます。多臓器のがんでもそういう方が多いのです。そうなる気持ちはよくわかります。
最近、1人の患者さんが外来を訪れました。
紹介状によるとPSA発見がんで、PSAは比較的低値でした。ただ私の著書を読んだことがなかったとかで、『あなたの癌は、がんもどき』(梧桐書院刊)を売店で購入し読まれました。やがて診察室に彼を招き入れると、ニコニコして「いやぁ、分かりました」「もうけっこうです」、と病気について一切話すことなくそのままユーターンして帰られたのです。
――がん放置療法の場合、この人は私の理想とする患者像です。
『ケース2』 「腫瘍マーカーが上がるのはしょうがない、諦めました」
『私が前立腺がんと診断されたのは、12年前の1999年61歳の時です。
市でやっていたPSA検査を受けたのです。すると値が8・5あり、精密検査を勧められて一泊の検査入院をしました。市民病院へ入院するとき、泌尿器科部長が「市のほうから検査をやれと言われて仕方なしにやっているんですよ。受けなければ70歳くらいまでは快適に過ごせたのに申し訳ないですね」、と本音を言ってくれました。
そして新任の部長は、「9だからすぐに手術を受けたほうがよい。普通なんだけど悪いのがちょっと混じっている」というのです。それなのになぜ急に手術を受けねばならないのか、と疑問に思いました。「奥さんも連れて来てくれ」と言われて、「夫がインポテンスになるから覚悟しなさい」と言いたいわけです。まずホルモン療法を始めると言われて、1回だけやりました。するとたった1本のLH‐RHアナログの注射で、PSAが2・2まで下がった。だけど気力がなくなり、自分が生きた屍(しかばね)みたいな感じになってしまい、気分がよくない。
そして、私は近藤さんの『がんと闘うな』を読んでいたので、行ってみるか、と思ったのです。先生に「ホルモン療法は続けたほうがよいですか」と尋ねたら、「すぐやめなさい」と言われた。で、その後は1回もやっていない。「一番よいのは、自然でいることです」と言われた。いずれ人は死ぬのだし、それで覚悟が決められてそれから気が楽になった。普通の生活ができる。それでももう、12年経つけど自覚症状もない。
近藤先生は「検査なんか受けなくてもいい。来なくていい」というのですが、私は先生に会いに東京へ来れるし、たまに東京へ出てきたいし、それで検査のために受診しているのです。ほかの検査は何もやっていないのですが、PSAくらいはいいだろうと思って受けています。そうすると値が上がってくるわけです。10くらいだったのが16になり、26になり、38、50になり、いまは70台で、72です。急にパッと上がることもある。しかし次の半年に半分くらい下がる。
私が今年(2011年)安心したのは、前立腺がんと告げられて12年経っているけども、平均寿命くらいは生きられるかもしれないと思うようになれたことです。それは近藤先生の『あなたの癌は、がんもどき』を読んだからです。放っておくのが一番よいのだけれど、PSAが上がったとしてもいつ治療すればよいのかその目安はない」と書いてある。・・・。普通に生きていれば日本の男性の平均寿命は80歳。私は今現在73歳だから、先生の本に書いてあったPSAが136になった患者のようになるまでに4、5年かかるとすると、私が136になるのはおよそ77歳。それから亡くなるまでに6年半かかるとすると83歳で死亡する。それならまぁ、普通だと思うのです。
嫌な気持ちで病院通いして、検査だなんだとやられるとそれだけで病気になってしまう。私は何にも自覚症状が出ていないし、好きなものは食べられるし、体は動くし、病院に行かないで済ませられるのなら済ましたほうがよいと思ったのです。』

組織診断には誤診が多い
私が乳房温存療法を唱導していた頃(80年~90年代前半)、全国から大勢の「乳がん」患者があつまって来て、すでに生検を受けていたケースでは組織標本を取り寄せ、エキスパートに見直してもらっていました。その結果、「乳がん」ケースの1割もが誤診であり、良性だったのです。もし彼女たちが元の病院に留まっていたなら、乳房と胸筋を切除されてあばら骨の輪郭が見え、腕があがりにくくなっていたはずです。
この話の怖ろしいところは、誤診率が全国平均で1割だったと推定できる点です。
そのころ日本では乳房温存療法の施行率がほぼゼロだったので、私のところには各地からがん専門病院や大学病院からも患者が集まっており、彼女たちも誤診されていたのです。