ワイロと脅しに屈した人間が魂を売って言いなりになる
植草 2009年の画期的な政権交代から、2012年末の崩壊にいたる2年半の民主党政権とは何だったのかということですが、最大の問題は、どうして鳩山政権が短期終焉したあと、菅、野田政権が政権交代時の民主党精神を受け継ぐことなく、一気に官僚中心の既得権擁護の政治に逆戻りしてしまったのかということです。普天間問題など直接的な原因となった政策の行き詰まりについての話は出ましたが、さらに一段深い部分からその原因を探ってみますと、どうしても”戦後史の正体”というものを考えざるを得ません。
とりわけ戦後史上のさまざまな日本政権が米国との関係をどう築こうとしたのか、対米従順なだけの政権であったのか、対米独立を志向した政権であったのか、その結果それぞれの政権はどのような運命をたどったのか? 一般国民としてもこのような日本が抱えている歴史の背景にある事実を理解することなしに、日本の政治状況を判断することはできません。
鳩山 ・・・まず最初に手をつけたのは、官僚主導の事務次官会議の廃止でした。
事実上、すべての役所の意思をとりまとめ、大臣以上の力を持って法案の取りまとめなどをしていた事務次官に代えて、テーマごとに何人かの大臣を集めて閣僚委員会を組織し、一つの役所では決められない物事に対処したのです。最初のころはそれなりに順調で、私としては予算編成において、「コンクリートから人へ」というメッセージのもとに、医療費教育費を大幅に上げ、公共事業は二桁削減するというようなこともかなり大胆に行なうことで、コンクリート業界からは怒られましたが、既得権の壁を一つ一つ破る努力をしたつもりです。
政権交代直後は、子ども手当て、高校の授業料無償化、農家への戸別所得保障制度など、マニフェストに沿った形で順調に政権運営ができたと思っています。しかしガソリン税の暫定率廃止については、ヨーロッパ発の景気低迷の影響もあり歳入が9兆円も減る中で、とてもできないと財務省から言われマニフェストにも書いたことであり是非とも実行したかったのですが、政治主導といいながらこれについては私が敗北を喫してしまったわけです。ガソリン税を安くすることは環境に悪影響があるんだ、というようなことも盛んに言われましたね。
2010年の2月のことですが、外務官僚、防衛官僚を2人ずつ、内閣官房を含めて6人を官邸に集め、この部隊で普天間移設問題について私の極秘ミッションを遂行してもらいたいことを話しました。「私はあなた方を完全に信頼するから、普天間の移設先に関してしっかり交渉してまとめてもらいたい」と。しかし「こういうミッションは外に漏れるとままならないので、秘密厳守ということだけは理解してほしい」と。「分かりました」ということでみな上機嫌になり、強い意気込みで「やりましょう」となり、酒を酌み交わしました。
しかし翌日の朝刊、まさに朝刊にこのことがスッパ抜かれたのです。
この6人のうちの誰かがリークしたか、あるいは誰かが上司に報告し、その上司がリークしたのかはわかりませんが、わずか数時間の後に、このミッションをないものにする工作が行なわれたのです。面従腹背というのはまさにこういうことだと思いました。
孫崎 ・・・私がまず申し上げたいことは、鳩山さんがお辞めになった時に「私はいまも、普天間を最低でも県外に移設するということは正しいと思う。しかしいまは情勢がこれを許してくれなかった。このままの状態を続ければ多くの人に迷惑がかかるから、私はここでいったん身を引くが、2、3年後には私が申し上げたことが必ず理解していただけるようになると思う」というように言って欲しかったことです。そうすればいま政治の流れが、必ず鳩山さんのところに帰ってきていたと思うのです。
植草 ・・・2010年6月2日に、鳩山さん、小沢さんが辞任され、その3日後の両院議員総会で菅内閣が誕生します。菅さんはその前の出馬会見で、「小沢さんはしばらく静かにしていただいたほうが本人にとっても、民主党にとっても、日本の政治にとってもいいのではないか」と発言されたことは有名です。その後”消費税10%発言”もあり、菅政権は参議院選で大敗するのですが、菅さんは退かず、9月14日の民主党代表選挙では菅・小沢両候補の一騎打ちになりました。
この民主党代表選挙において、党員サポーター票の開票に不正があったのではないかということが、今でもネット上などでかなり有力な情報として語られています。党員サポーターのハガキは茨城県の筑波学園局留めで郵送されたのですが、このハガキにはシークレットシールがついていなかったため、小沢支持票が大量に抜き取られたのではないかという疑惑情報があります。その根拠の一つは、10万票という棄権票の多さです。それから国会議員票では206対200という僅差であったのに、党員票ではかなりの差がついたことです。
またこの9月14日という日は、第五検察審査会が陸山会事件に対する二度目の起訴議決をした日(これによって小沢氏の強制起訴が決まる)と言われています。しかも実際の発表は10月4日でしたが、この情報が事前に議員に漏れ、小沢さんの議員票に影響を与えたとも言われています。これらの疑惑については、鳩山さんはどのようにお考えでしょうか?
鳩山 私はその時の様子を見に行ったわけではありませんが、ただそのハガキをあっという間に燃やしてしまったということと、疑問が持たれているハガキを検証もせず、すぐに捨ててしまったということには釈然としないものを感じています。集計したものを急いで捨てる理由はどこにもないので、やましくないのであれば、もう一度調べるチャンスは残しておくのは当然です。
植草 むしろ保管しておくべきですよね。
鳩山 代表選について一つ申し上げると、あの時は後半戦になるにつれて一般の世論調査での小沢さんの人気が上がっていったのです。最後の段階では小沢さんが抜いていたと思うのですが、党員サポーターの投票はなぜか最初の数日で打ち切られてしまった。今回もそうでしたが、もっとぎりぎりまで投票できるようにすべきだと思いましたね。
植草 党員サポーター票を分析してみますと、2012年9月の代表選では32~33万票のうち、野田さんが取ったのが7万票で、棄権票が22万票ありました。前回の小沢票と棄権票を合わせるとこれも22万票で、民主党の党員サポーターの33万人のうち、すでに離党してしまった小沢さんへの票が20万票あったのではないかと考えることもできるわけです。一つの解釈としてですが。
とりわけ戦後史上のさまざまな日本政権が米国との関係をどう築こうとしたのか、対米従順なだけの政権であったのか、対米独立を志向した政権であったのか、その結果それぞれの政権はどのような運命をたどったのか? 一般国民としてもこのような日本が抱えている歴史の背景にある事実を理解することなしに、日本の政治状況を判断することはできません。
鳩山 ・・・まず最初に手をつけたのは、官僚主導の事務次官会議の廃止でした。
事実上、すべての役所の意思をとりまとめ、大臣以上の力を持って法案の取りまとめなどをしていた事務次官に代えて、テーマごとに何人かの大臣を集めて閣僚委員会を組織し、一つの役所では決められない物事に対処したのです。最初のころはそれなりに順調で、私としては予算編成において、「コンクリートから人へ」というメッセージのもとに、医療費教育費を大幅に上げ、公共事業は二桁削減するというようなこともかなり大胆に行なうことで、コンクリート業界からは怒られましたが、既得権の壁を一つ一つ破る努力をしたつもりです。
政権交代直後は、子ども手当て、高校の授業料無償化、農家への戸別所得保障制度など、マニフェストに沿った形で順調に政権運営ができたと思っています。しかしガソリン税の暫定率廃止については、ヨーロッパ発の景気低迷の影響もあり歳入が9兆円も減る中で、とてもできないと財務省から言われマニフェストにも書いたことであり是非とも実行したかったのですが、政治主導といいながらこれについては私が敗北を喫してしまったわけです。ガソリン税を安くすることは環境に悪影響があるんだ、というようなことも盛んに言われましたね。
2010年の2月のことですが、外務官僚、防衛官僚を2人ずつ、内閣官房を含めて6人を官邸に集め、この部隊で普天間移設問題について私の極秘ミッションを遂行してもらいたいことを話しました。「私はあなた方を完全に信頼するから、普天間の移設先に関してしっかり交渉してまとめてもらいたい」と。しかし「こういうミッションは外に漏れるとままならないので、秘密厳守ということだけは理解してほしい」と。「分かりました」ということでみな上機嫌になり、強い意気込みで「やりましょう」となり、酒を酌み交わしました。
しかし翌日の朝刊、まさに朝刊にこのことがスッパ抜かれたのです。
この6人のうちの誰かがリークしたか、あるいは誰かが上司に報告し、その上司がリークしたのかはわかりませんが、わずか数時間の後に、このミッションをないものにする工作が行なわれたのです。面従腹背というのはまさにこういうことだと思いました。
孫崎 ・・・私がまず申し上げたいことは、鳩山さんがお辞めになった時に「私はいまも、普天間を最低でも県外に移設するということは正しいと思う。しかしいまは情勢がこれを許してくれなかった。このままの状態を続ければ多くの人に迷惑がかかるから、私はここでいったん身を引くが、2、3年後には私が申し上げたことが必ず理解していただけるようになると思う」というように言って欲しかったことです。そうすればいま政治の流れが、必ず鳩山さんのところに帰ってきていたと思うのです。
植草 ・・・2010年6月2日に、鳩山さん、小沢さんが辞任され、その3日後の両院議員総会で菅内閣が誕生します。菅さんはその前の出馬会見で、「小沢さんはしばらく静かにしていただいたほうが本人にとっても、民主党にとっても、日本の政治にとってもいいのではないか」と発言されたことは有名です。その後”消費税10%発言”もあり、菅政権は参議院選で大敗するのですが、菅さんは退かず、9月14日の民主党代表選挙では菅・小沢両候補の一騎打ちになりました。
この民主党代表選挙において、党員サポーター票の開票に不正があったのではないかということが、今でもネット上などでかなり有力な情報として語られています。党員サポーターのハガキは茨城県の筑波学園局留めで郵送されたのですが、このハガキにはシークレットシールがついていなかったため、小沢支持票が大量に抜き取られたのではないかという疑惑情報があります。その根拠の一つは、10万票という棄権票の多さです。それから国会議員票では206対200という僅差であったのに、党員票ではかなりの差がついたことです。
またこの9月14日という日は、第五検察審査会が陸山会事件に対する二度目の起訴議決をした日(これによって小沢氏の強制起訴が決まる)と言われています。しかも実際の発表は10月4日でしたが、この情報が事前に議員に漏れ、小沢さんの議員票に影響を与えたとも言われています。これらの疑惑については、鳩山さんはどのようにお考えでしょうか?
鳩山 私はその時の様子を見に行ったわけではありませんが、ただそのハガキをあっという間に燃やしてしまったということと、疑問が持たれているハガキを検証もせず、すぐに捨ててしまったということには釈然としないものを感じています。集計したものを急いで捨てる理由はどこにもないので、やましくないのであれば、もう一度調べるチャンスは残しておくのは当然です。
植草 むしろ保管しておくべきですよね。
鳩山 代表選について一つ申し上げると、あの時は後半戦になるにつれて一般の世論調査での小沢さんの人気が上がっていったのです。最後の段階では小沢さんが抜いていたと思うのですが、党員サポーターの投票はなぜか最初の数日で打ち切られてしまった。今回もそうでしたが、もっとぎりぎりまで投票できるようにすべきだと思いましたね。
植草 党員サポーター票を分析してみますと、2012年9月の代表選では32~33万票のうち、野田さんが取ったのが7万票で、棄権票が22万票ありました。前回の小沢票と棄権票を合わせるとこれも22万票で、民主党の党員サポーターの33万人のうち、すでに離党してしまった小沢さんへの票が20万票あったのではないかと考えることもできるわけです。一つの解釈としてですが。
トラスト・ミーの真実
鳩山 2009年11月13日にオバマ大統領が日本に来られ、公邸で私が接待した時、食事の最中でしたので、必ずしも深刻な話としてはお聞きにならなかったと思いますが、日米安全保障の新しい基本的なあり方についてのお話を申し上げて、自分はこういう考えなので、私を信頼して下さいという意味で「トラスト・ミー」と申し上げたわけです。
孫崎 えっ? 「トラスト・ミー」の前提にはそういうお話があったということになると、報道されている「トラスト・ミー」とはかなりニュアンスが違いますね。ここは非常に重要で、多くの人にとって関心があるところだと思うので再度確認させていただきたいのですが、「大きな理念を語りそして自分はこういう人間である、だから一緒になって日米関係を構築していきましょう、それを信じてください」という意味で「トラスト・ミー」と言われたようですが、報道では「普天間移設を米国との約束通り実行しますから信じてください」という意味で解釈された「トラスト・ミー」では、まったく意味が違いますね。
植草 一般的な報道では、「トラスト・ミー」の意味は「最後は辺野古に持っていきますから信用してください」、というように解釈されてきましたね。
鳩山 そういう意味では言ってはいません。
食事中、日米安保ももっと進化させていかなければいけませんね、というような話をして、普天間の問題も時間が少しかかるけれども答えを出すからと申し上げて、最後に別室で「私を信じてほしい」という意味で言ったと記憶しています。
孫崎 オバマ大統領は、鳩山さんが『Voice』にお書きになった論文を読むなり理解するなり、その内容を知っていましたか?
鳩山 知っているようには感じられませんでしたが。
孫崎 私はオバマ大統領と鳩山さんは非常に相性が合うような気がするのですが。
鳩山 確かにそうですね。
オバマ大統領とは最初から非常に気が合っていて、私がジョン・F・ケネディを尊敬しているということを知っていて、ケネディの原書をくれたり、ピッツバーグ・サミットの時は、私のフットボール好きを知っていて、ピッツバーグ・スティーラーズ全員のサイン入りのフットボールをプレゼントしてくれたり、心のこもったものを選んでくれました。
普天間をめぐってオバマ大統領と私との関係が悪化したというような報道もあったようです。しかし私とオバマ大統領のふたりの関係は終始、良好であったと思います。私が辞任する時には、「あなたと一緒に日米関係を深めていきたかったのに残念だ」、という手紙をいただきました。そこには、「You were true to your word」とありまして、あなたは自分の言葉に忠実だったね、と書いてくれたわけです。それを手書きで書いてくれるところに、本当に心が込められているのを感じました。オバマが私に対して心証を悪くしたということはないと思いますし、最後までケミストリー(相性)は合っていたと思いますね。
私が辞めた年に横浜でAPEC首脳会議がありましたが、菅首相主催の晩餐会で、メインテーブルにいたオバマ大統領は、私を見つけてすぐに私のテーブルまで挨拶に来てくださいました。今から考えるともっと、直接的なパイプを作ってゆけばよかったなと思います。
孫崎 外務省を通じてではなくてね。
植草 おそらく周辺が両首脳の個人的な関係の構築を阻止しようとしたかもしれませんね。
鳩山 なかなか、直接は会わせなかったでしょうね。
植草 ・・・しかし米国の中にもただ一つの考え方があるわけではなく、日本と同じように多種多様な考え方があるわけです。すぐに嫌米、反米、対米自立とかの話になりますが、米国の中でも良質な意見を述べる人たちとうまく結びついて、外交を展開する必要がありますよね。
孫崎 本当にそうですね。
鳩山 日本のメディアは、たとえば普天間移転問題だとキャンベルとかアーミテージとか、聞きにいく人が決まっちゃっているんですね。ですからそういう一部の”ジャパンハンドラー”と呼ばれる人たちが常に全面に出て来て同じ話を繰り返しているわけです。植草さんが言われたように最近はもっと多様な意見が出始めているので、そういう意見を大事にしなければいけないと私は思います。
鳩山 2009年11月13日にオバマ大統領が日本に来られ、公邸で私が接待した時、食事の最中でしたので、必ずしも深刻な話としてはお聞きにならなかったと思いますが、日米安全保障の新しい基本的なあり方についてのお話を申し上げて、自分はこういう考えなので、私を信頼して下さいという意味で「トラスト・ミー」と申し上げたわけです。
孫崎 えっ? 「トラスト・ミー」の前提にはそういうお話があったということになると、報道されている「トラスト・ミー」とはかなりニュアンスが違いますね。ここは非常に重要で、多くの人にとって関心があるところだと思うので再度確認させていただきたいのですが、「大きな理念を語りそして自分はこういう人間である、だから一緒になって日米関係を構築していきましょう、それを信じてください」という意味で「トラスト・ミー」と言われたようですが、報道では「普天間移設を米国との約束通り実行しますから信じてください」という意味で解釈された「トラスト・ミー」では、まったく意味が違いますね。
植草 一般的な報道では、「トラスト・ミー」の意味は「最後は辺野古に持っていきますから信用してください」、というように解釈されてきましたね。
鳩山 そういう意味では言ってはいません。
食事中、日米安保ももっと進化させていかなければいけませんね、というような話をして、普天間の問題も時間が少しかかるけれども答えを出すからと申し上げて、最後に別室で「私を信じてほしい」という意味で言ったと記憶しています。
孫崎 オバマ大統領は、鳩山さんが『Voice』にお書きになった論文を読むなり理解するなり、その内容を知っていましたか?
鳩山 知っているようには感じられませんでしたが。
孫崎 私はオバマ大統領と鳩山さんは非常に相性が合うような気がするのですが。
鳩山 確かにそうですね。
オバマ大統領とは最初から非常に気が合っていて、私がジョン・F・ケネディを尊敬しているということを知っていて、ケネディの原書をくれたり、ピッツバーグ・サミットの時は、私のフットボール好きを知っていて、ピッツバーグ・スティーラーズ全員のサイン入りのフットボールをプレゼントしてくれたり、心のこもったものを選んでくれました。
普天間をめぐってオバマ大統領と私との関係が悪化したというような報道もあったようです。しかし私とオバマ大統領のふたりの関係は終始、良好であったと思います。私が辞任する時には、「あなたと一緒に日米関係を深めていきたかったのに残念だ」、という手紙をいただきました。そこには、「You were true to your word」とありまして、あなたは自分の言葉に忠実だったね、と書いてくれたわけです。それを手書きで書いてくれるところに、本当に心が込められているのを感じました。オバマが私に対して心証を悪くしたということはないと思いますし、最後までケミストリー(相性)は合っていたと思いますね。
私が辞めた年に横浜でAPEC首脳会議がありましたが、菅首相主催の晩餐会で、メインテーブルにいたオバマ大統領は、私を見つけてすぐに私のテーブルまで挨拶に来てくださいました。今から考えるともっと、直接的なパイプを作ってゆけばよかったなと思います。
孫崎 外務省を通じてではなくてね。
植草 おそらく周辺が両首脳の個人的な関係の構築を阻止しようとしたかもしれませんね。
鳩山 なかなか、直接は会わせなかったでしょうね。
植草 ・・・しかし米国の中にもただ一つの考え方があるわけではなく、日本と同じように多種多様な考え方があるわけです。すぐに嫌米、反米、対米自立とかの話になりますが、米国の中でも良質な意見を述べる人たちとうまく結びついて、外交を展開する必要がありますよね。
孫崎 本当にそうですね。
鳩山 日本のメディアは、たとえば普天間移転問題だとキャンベルとかアーミテージとか、聞きにいく人が決まっちゃっているんですね。ですからそういう一部の”ジャパンハンドラー”と呼ばれる人たちが常に全面に出て来て同じ話を繰り返しているわけです。植草さんが言われたように最近はもっと多様な意見が出始めているので、そういう意見を大事にしなければいけないと私は思います。