【ビキニ水爆実験】科学者にだまされ、島に戻った人々の悲劇~福島の帰郷推進運動も同じ人体実験
光軍の戦士達さんのサイトより
http://ameblo.jp/64152966/entry-11571816400.html
<転載開始>
【ビキニ水爆実験】
科学者にだまされ、島に戻った人々の悲劇
~福島の帰郷推進運動も同じ人体実験
科学者にだまされ、島に戻った人々の悲劇
『核の難民 ビキニ水爆実験「除染」後の現実』(佐々木英基 著)
http://gekkan.bunshun.jp/articles/-/635
2013年5月10日
http://ameblo.jp/64152966/entry-11571816400.html
<転載開始>
【ビキニ水爆実験】
科学者にだまされ、島に戻った人々の悲劇
~福島の帰郷推進運動も同じ人体実験
科学者にだまされ、島に戻った人々の悲劇
『核の難民 ビキニ水爆実験「除染」後の現実』(佐々木英基 著)
http://gekkan.bunshun.jp/articles/-/635
2013年5月10日
<転載>
アメリカの核実験と太平洋の小さな島に住む人たちについて、
調べて書いた本である。
もとはNHKのテレビ番組で、著者はそのディレクター。
アメリカは、第二次大戦直後の一九四六年以降太平洋で、
計六十七回もの核実験をしているのだそうだ。
そのうち最大のものが、五四年三月、マーシャル諸島
ビキニ環礁での「水爆ブラボー」である。
この時、ビキニの東百八十キロ(東京駅―静岡駅の距離に相当)
のロンゲラップ島に、八十二人の住民がいた。
木の実や魚を食べてくらす平和な人たちである。
周辺海域には第五福竜丸など千隻ほどの日本漁船もいた。
この「ブラボー」の規模は広島の原子爆弾の一千倍で、
開発に携わった研究者の予測をはるかに上回る「想定外の威力」
だったとある。
ロンゲラップの島民、および日本の漁民が見た爆発のさまはものすごい。
直径約五キロの煮えたぎる太陽のような火の玉がのぼり、
強烈な光と熱を発し、上空で巨大なキノコのようにひろがって
あたりが夜のように暗くなり、つづいて天地をゆるがす爆発音、
竜巻のような強風、そして雪のような白い粉が降ってきた。
これを浴びると体が火に焼かれたように熱くなり、直後から
吐き気、頭痛、下痢が始まり、髪の毛がごっそり抜ける者もいた。
のちに日本の新聞がこの白い粉を「死の灰」と名づけた。
その後現在まで約六十年間の、ロンゲラップの島民たちと、
アメリカの政府・科学者・医師の対応が、この本の主題である。
爆発の翌々日、アメリカ人が島へ来て、島民たちを他の島に移した。
大量の放射能を浴びた人体の検査が始まった。
ただし島民に放射能のことは言わなかった。
海水で体を洗えと言っただけで、治療はなかった。
三年後の一九五七年、アメリカは島民たちを島へ帰らせた。
当初島にいて被曝した人と、その時は他の島にいて放射能を
浴びなかった島民、合計二百五十人が帰島した。
放射能が残っていることはわかっていた。
当時科学者は、帰島させる目的をこう語っている。
「住民がロンゲラップ島に帰郷することは、すなわち、
高いレベルの放射線を浴びた人間が、ふたたび高い放射線に
さらされるということです。これは、遺伝的研究をする上で、
まさに理想的な状況です。」
また「放射性物質が土壌から食物連鎖を通じて体内に入る
まで追跡することができる。」
放射線の臓器への影響や半減期、排出なども調査できる。
そのために、当初の被曝者と、このたび初めて放射能を
浴びたり食ったりする者とを、わけて調査した。
これは、核戦争もしくは原子力平和利用によって
人が放射能を浴びた場合にどういう影響が出るか、
動物実験だけでは十分でないので、世界で放射能レベルが
最も高いロンゲラップに人を住まわせて検査することにしたのである。
島民には「島はもう安全だ。何も問題はない」と説明した。
島でくらし始めた人々には、デキモノ、下痢、それに植物や
動物の異変などさまざまな影響があったが、最も顕著なのが
女性の出産である。
頭蓋骨のない子や骨がなくて皮膚だけの子が生れる。
ブドウのような子やクラゲのような子が生れる。
こういう子はすぐに死ぬ。女性の95%が流産を経験した。
これは一九五四年に被曝した人も五七年以後に被曝した人も違いはない。
一九七五年、島民は米人医師に不信を表明し、検診を拒否した。
八五年全島民が島を離れて他の島に移った。
一九九八年、「ブラボー」から四十四年後にアメリカは、
島の一部居住地区の除染を始めた。
現在、島民に「島へ帰れば生活は保証する」と言っているが、
島民は帰ろうとしない。
この本を読んでわたしは、科学者が命にかかわる嘘を平気で
言うことを、最もおそろしく思った。
これは、今後もアメリカと同盟してゆくほかない日本人の
心得ておいてよいことだろう。
<転載終わり>
管理人
今回の記事を御覧になった皆さんは、
どの様にお感じになられたでしょうか?
私には、今の日本、特に福島で行われている事と
全く同じようにしか感じられませんでした。
是非、何度も読んで心に刻んで欲しいと思います。
311からなる福島原発事故によって多くの国民が被爆させられ、
その上に、安全デマばかりを垂れ流され、
挙句の果てには、食べて応援させられる始末です。
「絆」と称して、被爆の拡大とその連帯でも強化しようとでも
云うのでしょうか!?
やっている事は、半世紀前と何も変わっていません。
騙されて島に帰還した島民が、その後、一体どうなったのか!?
皆さん、深く心と頭に刻んで下さい。
そして、どうかそれを今後の生き方の判断に生かして下さい。
ロンゲラップの島民の惨状は、福島の近未来を現しています。
そして、多くを悟った島民の皆さんは、生活を保障すると
云われても、決して、もう島には戻らなかった。
アメリカの核実験と太平洋の小さな島に住む人たちについて、
調べて書いた本である。
もとはNHKのテレビ番組で、著者はそのディレクター。
アメリカは、第二次大戦直後の一九四六年以降太平洋で、
計六十七回もの核実験をしているのだそうだ。
そのうち最大のものが、五四年三月、マーシャル諸島
ビキニ環礁での「水爆ブラボー」である。
この時、ビキニの東百八十キロ(東京駅―静岡駅の距離に相当)
のロンゲラップ島に、八十二人の住民がいた。
木の実や魚を食べてくらす平和な人たちである。
周辺海域には第五福竜丸など千隻ほどの日本漁船もいた。
この「ブラボー」の規模は広島の原子爆弾の一千倍で、
開発に携わった研究者の予測をはるかに上回る「想定外の威力」
だったとある。
ロンゲラップの島民、および日本の漁民が見た爆発のさまはものすごい。
直径約五キロの煮えたぎる太陽のような火の玉がのぼり、
強烈な光と熱を発し、上空で巨大なキノコのようにひろがって
あたりが夜のように暗くなり、つづいて天地をゆるがす爆発音、
竜巻のような強風、そして雪のような白い粉が降ってきた。
これを浴びると体が火に焼かれたように熱くなり、直後から
吐き気、頭痛、下痢が始まり、髪の毛がごっそり抜ける者もいた。
のちに日本の新聞がこの白い粉を「死の灰」と名づけた。
その後現在まで約六十年間の、ロンゲラップの島民たちと、
アメリカの政府・科学者・医師の対応が、この本の主題である。
爆発の翌々日、アメリカ人が島へ来て、島民たちを他の島に移した。
大量の放射能を浴びた人体の検査が始まった。
ただし島民に放射能のことは言わなかった。
海水で体を洗えと言っただけで、治療はなかった。
三年後の一九五七年、アメリカは島民たちを島へ帰らせた。
当初島にいて被曝した人と、その時は他の島にいて放射能を
浴びなかった島民、合計二百五十人が帰島した。
放射能が残っていることはわかっていた。
当時科学者は、帰島させる目的をこう語っている。
「住民がロンゲラップ島に帰郷することは、すなわち、
高いレベルの放射線を浴びた人間が、ふたたび高い放射線に
さらされるということです。これは、遺伝的研究をする上で、
まさに理想的な状況です。」
また「放射性物質が土壌から食物連鎖を通じて体内に入る
まで追跡することができる。」
放射線の臓器への影響や半減期、排出なども調査できる。
そのために、当初の被曝者と、このたび初めて放射能を
浴びたり食ったりする者とを、わけて調査した。
これは、核戦争もしくは原子力平和利用によって
人が放射能を浴びた場合にどういう影響が出るか、
動物実験だけでは十分でないので、世界で放射能レベルが
最も高いロンゲラップに人を住まわせて検査することにしたのである。
島民には「島はもう安全だ。何も問題はない」と説明した。
島でくらし始めた人々には、デキモノ、下痢、それに植物や
動物の異変などさまざまな影響があったが、最も顕著なのが
女性の出産である。
頭蓋骨のない子や骨がなくて皮膚だけの子が生れる。
ブドウのような子やクラゲのような子が生れる。
こういう子はすぐに死ぬ。女性の95%が流産を経験した。
これは一九五四年に被曝した人も五七年以後に被曝した人も違いはない。
一九七五年、島民は米人医師に不信を表明し、検診を拒否した。
八五年全島民が島を離れて他の島に移った。
一九九八年、「ブラボー」から四十四年後にアメリカは、
島の一部居住地区の除染を始めた。
現在、島民に「島へ帰れば生活は保証する」と言っているが、
島民は帰ろうとしない。
この本を読んでわたしは、科学者が命にかかわる嘘を平気で
言うことを、最もおそろしく思った。
これは、今後もアメリカと同盟してゆくほかない日本人の
心得ておいてよいことだろう。
<転載終わり>
管理人
今回の記事を御覧になった皆さんは、
どの様にお感じになられたでしょうか?
私には、今の日本、特に福島で行われている事と
全く同じようにしか感じられませんでした。
是非、何度も読んで心に刻んで欲しいと思います。
311からなる福島原発事故によって多くの国民が被爆させられ、
その上に、安全デマばかりを垂れ流され、
挙句の果てには、食べて応援させられる始末です。
「絆」と称して、被爆の拡大とその連帯でも強化しようとでも
云うのでしょうか!?
やっている事は、半世紀前と何も変わっていません。
騙されて島に帰還した島民が、その後、一体どうなったのか!?
皆さん、深く心と頭に刻んで下さい。
そして、どうかそれを今後の生き方の判断に生かして下さい。
ロンゲラップの島民の惨状は、福島の近未来を現しています。
そして、多くを悟った島民の皆さんは、生活を保障すると
云われても、決して、もう島には戻らなかった。