「従軍慰安婦問題」は捏造であることを知らねばならない①
慰安婦問題が広く知られるようになって20年以上が過ぎた。
しかし残念なことに、多くの人が慰安婦問題については真相を知ろうとしないために、韓国側の主張が「正しい」と信じている日本人も少なくないことである。「慰安婦問題」とは何なのか。その捏造(ねつぞう)の歴史を詳しく説明する。
2011年頃から慰安婦問題がまた騒がしくなった。
これで4度目だ。最初に問題が浮上したのは1991年であったが、①慰安婦の公権力による連行という事実は確認されてはおらず、彼女たちは貧困を原因とするいわゆる人身売買の被害者であったことから、②日本と韓国の戦後補償問題は昭和40年の日韓協定で「完全かつ最終的に解決」している。
しかし今回の4度目の慰安婦騒ぎは、一部の職業的反日日本人と日韓関係悪化を狙う、韓国の反日運動家らの執拗な活動の結果引き起こされたものであり、その捏造の虚構が国際的に広められていることが問題なのである。
捏造① 吉田清治の体験本
まず、「慰安婦性奴隷説」を最初に言い出したのは誰か、という点から見ていこう。
それは「吉田清治」という職業的「反日日本人」であった。つまり韓国から出た話ではないのである。1948年当時、韓国の初代大統領は独立運動家出身の李承晩(イ・スンマン)博士だった。李政権は国交正常化交渉において、できるだけ多額の戦後補償金を日本から取ろうとさまざまな名目で請求した。そのリストが、1951年に出された8項目の「対日請求要綱」であった。
しかしそこには「戦争による被徴用者への補償金」は挙げられていたが、慰安婦に対する補償は入っていなかった。大多数の韓国人が植民地時代の実態を知っているその時期に、反日政策を掲げる李承晩政権さえ慰安婦問題はなかったのだ。そして1965年の日韓国交正常化の際にもなかった。そして1983年に吉田清治が、『私の戦争犯罪 朝鮮人強制連行』(三一書房刊)という本を出したことから、始めて「性奴隷説」なるものが誕生したのである。
吉田によると、1943年に軍から朝鮮人女子挺身隊動員を命令され、済州島で日本軍人らを引率して、若い未婚女性や赤ん坊を抱いた母親を駆り立ててトラックで連行し、レイプしたという「体験」を書いたのである。吉田の著書は89年に韓国語でも翻訳出版された。
そしてその後、現地の『済州新聞』の女性記者が現場地域を取材したところ、住民たちは口をそろえて誰もがそのようなことはなかった、吉田は嘘をついていると語った。これは1989年8月14日に同新聞が報じている。しかし日韓の歴史学者や反日運動家らの中では性奴隷説は静かに拡散していった。これが前史である。
捏造② 朝日新聞の大誤報記事
吉田の著述による証言から8年後、1991年8月11日、朝日新聞が大誤報記事を掲載したことから1回目の慰安婦騒ぎが始まったのである。「元朝鮮人従軍慰安婦 戦後半世紀 重い口を開く」という一面大見出しをつけた記事は、「日中戦争や第二次大戦の際、”女子挺身隊”の名で戦場に連行され、日本軍人相手に売春行為を強いられた”朝鮮人従軍慰安婦”のうち、1人がソウル市内に生存していることがわかり、”韓国挺身隊問題対策協議会”が聞き取り作業を始めた」というリードがつけられていた。
しかも「”女子挺身隊”の名で戦場に連行され」と書いている点が、吉田証言を取り上げてそれに乗っかる悪意を持つ誤報であった。なぜなら「名乗りを上げた」とされる元慰安婦・金学順(キム・ハクスン)さんは、「”女子挺身隊”の名で戦場に連行」されてはいないからだ。彼女は貧しさのために母親から40キーセン(妓生・芸妓、娼婦)で売られたと、訴状などで明言しているからである。しかし、今現在まで朝日新聞はこの誤報を訂正してはいない。
1992年になって、現代史学者の秦郁彦氏が吉田証言について現地調査を行ない、先に引用した済州新聞の記事などを発見し、吉田証言が嘘であることを暴いた。また金学順さんの後に名乗り出た元慰安婦の証言についても、ソウル大学名誉教授の安秉直(アン・ビョンジク)氏が学術的な調査を行ない、「権力による連行は証明できない」という結論を出している。
日本政府は92年1月以降、過去の公文書を徹底的に調査したが、慰安婦を権力によって連行したことを示す文書は1つも出てはこなかった。以上のように1回目の論争で、実は事実関係については決着がついていたのだ。また日本人女学生らが勤労奉仕のために集められた女子挺身隊制度は、慰安婦とはまったく別のものであるが、それを意図的に混同する悪意も見られた。
捏造③ 外務省の詭弁と河野(洋平)談話
しかしその後日本政府は、なぜか事実に基づいて反論する姿勢を取らず、謝罪しつつ問題を先送りするという、既成事実があるかのような卑怯な外交を展開したために、問題にならないはずのものが日韓外交の重要問題として再び浮上したのである。
その真相とは、韓国政府が「とにかく強制連行を認めてくれ。そうすればこれ以上、外交問題にしない」と水面下で求めてきたことに迎合して、外務官僚と河野洋平官房長官(当時)がそれを飲んで国を売り渡したという事実がある。外務官僚らは、「本人たちは慰安婦になりたくなかったのだから強制連行はあった」と発言し、93年8月に、政府としての謝罪を表明した河野談話を出した。
2回目の論争は、「河野談話」に勢いを得た国内の左派学者たちが、中学校歴史教科書に慰安婦の強制連行を書いたことから始まった。そしてそれに反対する学者や知識人、国民の多くが、「新しい教科書をつくる会」に結集して立ち上がり、大きな論争となった。
捏造④ 日本人弁護士のロビー活動
2006年に安倍晋三内閣が発足すると、アメリカ議会が「慰安婦は性奴隷であり日本政府は公式謝罪と補償をせよ」、という決議を通そうとした。それで安倍首相が国会で、国内での論争の成果を取り上げて、「権力による慰安婦連行は証明されていない」と答弁したが、米国メディアが激しく非難して、日米関係がおかしくなりかけた。その背景の真相は、反日日本人らが「慰安婦性奴隷説」を国連に持ち込み、そうした嘘を国際的に拡散させる活動をしていたという事実があった。
そして、日本人の戸塚悦郎弁護士こそが、「慰安婦=性奴隷」という国際的な謀略の発案者であった。彼は次のように自慢げに書いている。『戦争と性』(第25号2006年5月)で、「筆者は1992年2月、国連人権委員会で、朝鮮・韓国人の戦時強制連行問題と”従軍慰安婦問題”をNGO(IED)の代表として初めて提起し、日本政府に責任を取るように求め、国連の対応をも要請した」「それまで”従軍慰安婦”問題に関する国際法上の検討がなされていなかったために、結局、筆者はそれを日本帝国軍の”性奴隷”(sex slave)と規定した」
そして戸塚のこの規定が、国際社会での反日謀略のスタートになったのである。
日本人が自ら国連まで出向き、事実に反する自国の捏造・誹謗中傷を続けるのであるから、多くの国の外交官が謀略に巻き込まれるのは容易なことであった。彼の国連ロビー活動は、92年から95年の4年間の間に、訪欧14回、訪米2回、訪朝1回、訪中1回と、繰り返し行なわれた。そしてその結果、96年には彼の発案の「性奴隷説」(sex slave)が国連公式文書に採用された。
捏造⑤ 国連人権委員会特別報告書
国連人権委員会の特別報告官くマラスワミ女史が、人権委員会に提出した報告書があった。その『戦時における軍事的性奴隷問題に関する、朝鮮民主主義共和国・大韓民国及び日本への訪問調査に基づく報告書16』には、「戦時下の軍隊の使用のために性的奉仕を行なうことを強制された女性の事例を、”軍隊性奴隷制”(military sexual slavery )の慣行であることを明確にする」と書かれていた。
つまりこの報告書は、吉田清治証言による女史挺身隊制度を”慰安婦連行説”とした誤りを根拠としているのであり、事実認識が根本から間違っているのである。なお吉田清治は、1996年に週刊誌のインタビューで、自らが書いた著書に関して「創作を交えた記述」であったことを認めている。
実は外務省は、上記の報告書が採択される直前に、40ページにわたる反論文書を国連人権委員会に提出したのである。ところがその後突然に、なぜか日本政府側から反論文書は撤回されただけでなく、事実関係には言及せず、すでに日本は謝罪しているとした文書に差し替えられたのである。当時の国内は社会党が与党であったが、これ以降、外務省は事実関係に踏み込んだ反論を一切しなくなったのである。
そして2011年8月、韓国憲法裁判所が、「韓国政府が日本に対し、慰安婦への補償を求めないのは憲法違反」だとする驚くような判決を下したのだ。これが4回目の騒ぎの始まりである。その判決では、国連人権委員会報告書や米議会議決などが引用され、慰安婦性奴隷説を事実だとして取り上げ、その立場から日本に外交交渉をするように韓国政府に求めている。そして同年12月の日韓首脳会談では、李明博(イ・ミョンバク)大統領が慰安婦問題を強力に取り上げた。
しかし残念なことに、多くの人が慰安婦問題については真相を知ろうとしないために、韓国側の主張が「正しい」と信じている日本人も少なくないことである。「慰安婦問題」とは何なのか。その捏造(ねつぞう)の歴史を詳しく説明する。
2011年頃から慰安婦問題がまた騒がしくなった。
これで4度目だ。最初に問題が浮上したのは1991年であったが、①慰安婦の公権力による連行という事実は確認されてはおらず、彼女たちは貧困を原因とするいわゆる人身売買の被害者であったことから、②日本と韓国の戦後補償問題は昭和40年の日韓協定で「完全かつ最終的に解決」している。
しかし今回の4度目の慰安婦騒ぎは、一部の職業的反日日本人と日韓関係悪化を狙う、韓国の反日運動家らの執拗な活動の結果引き起こされたものであり、その捏造の虚構が国際的に広められていることが問題なのである。
捏造① 吉田清治の体験本
まず、「慰安婦性奴隷説」を最初に言い出したのは誰か、という点から見ていこう。
それは「吉田清治」という職業的「反日日本人」であった。つまり韓国から出た話ではないのである。1948年当時、韓国の初代大統領は独立運動家出身の李承晩(イ・スンマン)博士だった。李政権は国交正常化交渉において、できるだけ多額の戦後補償金を日本から取ろうとさまざまな名目で請求した。そのリストが、1951年に出された8項目の「対日請求要綱」であった。
しかしそこには「戦争による被徴用者への補償金」は挙げられていたが、慰安婦に対する補償は入っていなかった。大多数の韓国人が植民地時代の実態を知っているその時期に、反日政策を掲げる李承晩政権さえ慰安婦問題はなかったのだ。そして1965年の日韓国交正常化の際にもなかった。そして1983年に吉田清治が、『私の戦争犯罪 朝鮮人強制連行』(三一書房刊)という本を出したことから、始めて「性奴隷説」なるものが誕生したのである。
吉田によると、1943年に軍から朝鮮人女子挺身隊動員を命令され、済州島で日本軍人らを引率して、若い未婚女性や赤ん坊を抱いた母親を駆り立ててトラックで連行し、レイプしたという「体験」を書いたのである。吉田の著書は89年に韓国語でも翻訳出版された。
そしてその後、現地の『済州新聞』の女性記者が現場地域を取材したところ、住民たちは口をそろえて誰もがそのようなことはなかった、吉田は嘘をついていると語った。これは1989年8月14日に同新聞が報じている。しかし日韓の歴史学者や反日運動家らの中では性奴隷説は静かに拡散していった。これが前史である。
捏造② 朝日新聞の大誤報記事
吉田の著述による証言から8年後、1991年8月11日、朝日新聞が大誤報記事を掲載したことから1回目の慰安婦騒ぎが始まったのである。「元朝鮮人従軍慰安婦 戦後半世紀 重い口を開く」という一面大見出しをつけた記事は、「日中戦争や第二次大戦の際、”女子挺身隊”の名で戦場に連行され、日本軍人相手に売春行為を強いられた”朝鮮人従軍慰安婦”のうち、1人がソウル市内に生存していることがわかり、”韓国挺身隊問題対策協議会”が聞き取り作業を始めた」というリードがつけられていた。
しかも「”女子挺身隊”の名で戦場に連行され」と書いている点が、吉田証言を取り上げてそれに乗っかる悪意を持つ誤報であった。なぜなら「名乗りを上げた」とされる元慰安婦・金学順(キム・ハクスン)さんは、「”女子挺身隊”の名で戦場に連行」されてはいないからだ。彼女は貧しさのために母親から40キーセン(妓生・芸妓、娼婦)で売られたと、訴状などで明言しているからである。しかし、今現在まで朝日新聞はこの誤報を訂正してはいない。
1992年になって、現代史学者の秦郁彦氏が吉田証言について現地調査を行ない、先に引用した済州新聞の記事などを発見し、吉田証言が嘘であることを暴いた。また金学順さんの後に名乗り出た元慰安婦の証言についても、ソウル大学名誉教授の安秉直(アン・ビョンジク)氏が学術的な調査を行ない、「権力による連行は証明できない」という結論を出している。
日本政府は92年1月以降、過去の公文書を徹底的に調査したが、慰安婦を権力によって連行したことを示す文書は1つも出てはこなかった。以上のように1回目の論争で、実は事実関係については決着がついていたのだ。また日本人女学生らが勤労奉仕のために集められた女子挺身隊制度は、慰安婦とはまったく別のものであるが、それを意図的に混同する悪意も見られた。
捏造③ 外務省の詭弁と河野(洋平)談話
しかしその後日本政府は、なぜか事実に基づいて反論する姿勢を取らず、謝罪しつつ問題を先送りするという、既成事実があるかのような卑怯な外交を展開したために、問題にならないはずのものが日韓外交の重要問題として再び浮上したのである。
その真相とは、韓国政府が「とにかく強制連行を認めてくれ。そうすればこれ以上、外交問題にしない」と水面下で求めてきたことに迎合して、外務官僚と河野洋平官房長官(当時)がそれを飲んで国を売り渡したという事実がある。外務官僚らは、「本人たちは慰安婦になりたくなかったのだから強制連行はあった」と発言し、93年8月に、政府としての謝罪を表明した河野談話を出した。
2回目の論争は、「河野談話」に勢いを得た国内の左派学者たちが、中学校歴史教科書に慰安婦の強制連行を書いたことから始まった。そしてそれに反対する学者や知識人、国民の多くが、「新しい教科書をつくる会」に結集して立ち上がり、大きな論争となった。
捏造④ 日本人弁護士のロビー活動
2006年に安倍晋三内閣が発足すると、アメリカ議会が「慰安婦は性奴隷であり日本政府は公式謝罪と補償をせよ」、という決議を通そうとした。それで安倍首相が国会で、国内での論争の成果を取り上げて、「権力による慰安婦連行は証明されていない」と答弁したが、米国メディアが激しく非難して、日米関係がおかしくなりかけた。その背景の真相は、反日日本人らが「慰安婦性奴隷説」を国連に持ち込み、そうした嘘を国際的に拡散させる活動をしていたという事実があった。
そして、日本人の戸塚悦郎弁護士こそが、「慰安婦=性奴隷」という国際的な謀略の発案者であった。彼は次のように自慢げに書いている。『戦争と性』(第25号2006年5月)で、「筆者は1992年2月、国連人権委員会で、朝鮮・韓国人の戦時強制連行問題と”従軍慰安婦問題”をNGO(IED)の代表として初めて提起し、日本政府に責任を取るように求め、国連の対応をも要請した」「それまで”従軍慰安婦”問題に関する国際法上の検討がなされていなかったために、結局、筆者はそれを日本帝国軍の”性奴隷”(sex slave)と規定した」
そして戸塚のこの規定が、国際社会での反日謀略のスタートになったのである。
日本人が自ら国連まで出向き、事実に反する自国の捏造・誹謗中傷を続けるのであるから、多くの国の外交官が謀略に巻き込まれるのは容易なことであった。彼の国連ロビー活動は、92年から95年の4年間の間に、訪欧14回、訪米2回、訪朝1回、訪中1回と、繰り返し行なわれた。そしてその結果、96年には彼の発案の「性奴隷説」(sex slave)が国連公式文書に採用された。
捏造⑤ 国連人権委員会特別報告書
国連人権委員会の特別報告官くマラスワミ女史が、人権委員会に提出した報告書があった。その『戦時における軍事的性奴隷問題に関する、朝鮮民主主義共和国・大韓民国及び日本への訪問調査に基づく報告書16』には、「戦時下の軍隊の使用のために性的奉仕を行なうことを強制された女性の事例を、”軍隊性奴隷制”(military sexual slavery )の慣行であることを明確にする」と書かれていた。
つまりこの報告書は、吉田清治証言による女史挺身隊制度を”慰安婦連行説”とした誤りを根拠としているのであり、事実認識が根本から間違っているのである。なお吉田清治は、1996年に週刊誌のインタビューで、自らが書いた著書に関して「創作を交えた記述」であったことを認めている。
実は外務省は、上記の報告書が採択される直前に、40ページにわたる反論文書を国連人権委員会に提出したのである。ところがその後突然に、なぜか日本政府側から反論文書は撤回されただけでなく、事実関係には言及せず、すでに日本は謝罪しているとした文書に差し替えられたのである。当時の国内は社会党が与党であったが、これ以降、外務省は事実関係に踏み込んだ反論を一切しなくなったのである。
そして2011年8月、韓国憲法裁判所が、「韓国政府が日本に対し、慰安婦への補償を求めないのは憲法違反」だとする驚くような判決を下したのだ。これが4回目の騒ぎの始まりである。その判決では、国連人権委員会報告書や米議会議決などが引用され、慰安婦性奴隷説を事実だとして取り上げ、その立場から日本に外交交渉をするように韓国政府に求めている。そして同年12月の日韓首脳会談では、李明博(イ・ミョンバク)大統領が慰安婦問題を強力に取り上げた。