すでに無意味と判定されているのに実施される「がん検診」
最近、次のような経験をしました。
某大学病院で浸潤性膀胱がんと診断された男性は、担当医に「膀胱全摘出」を勧められました。しかし患者はそれを断り、私のところに来られました。遠方から来ているので、膀胱がんの放射線治療を行なっている最寄りの病院を紹介すると、再検査が行なわれ、その結果がんではなく「良性」と診断されたのです。
病理の誤診を防ぐために患者や家族にできることは、組織標本を借り出して、別の病院で病理検査をやり直してもらうことです。転移がんはそう間違えることはないのですが、比較的早期のがんはもちろんのこと、進行がんと言われても誤診の可能性が残るので、臓器切除と言われたら病理再検査を是非励行してください。
その場合に必要なのは、心と時間のゆとりです。
がんではセカンド・オピニオンが大事とよく言われますが、がんの恐怖があるために早く直したいと焦るあまり、別の治療法にたどり着くチャンスを失うのがほとんどなのです。ましてや病理診断をもう一度確かめてもらう気にはなりにくい。ですから再検査の時間を作るためには、心のゆとりが必要なのです。本書の目的は、がんは多少放置しても問題はなく、治療を受ける前にいろいろ確認する時間はある、ということを知らせることが一つの目的でもあります。
がん放置期間中は、がんであったことを忘れて、何も検査をしないことがベストです。(市町村や職場の検診には、しばしばPSA検査が含まれているので要注意)。そしてがんに起因すると思われる症状が出たときに、改めて検査して治療法を検討します。ただ多くの患者は、何も検査しないのは耐え難いようです。その場合、PSAを測るだけで十分なのですが、前述のように直腸診によるとPSAが誤って高く出てしまい、治療に追い込まれることになります。
PSAがいくつになったら治療を受けたほうがよいとする、合理的なデータや理由はありません。ひとたび放置治療を始めたら、症状が出ない限り、どこまでPSAが上昇しても様子を見るのが理にかなっているのです。
精神症状緩和のための治療
これまで述べてきたのは肉体面での症状ですが、精神的症状も考慮すべきです。
具体的には、がんに対する恐怖や不安がそうです。がんは怖いという一般通念がある現代社会では特に、がん患者は怯えて暮らすことになり、それは立派な精神症状と言えるでしょう。
恐怖や不安は、がんを治療しないで放置する場合に一層高まる可能性があります。
それはたとえ、「本物」や「もどき」に区別されることを知って放置されることを選んだ場合にも、不安がなくなるわけではないようです。転移はあるかないかのどちらかであり、どちらにしても治療が寿命を延ばさないという理屈が、こうした不安の感情を何とか押さえ込んでいるのが実情でしょう。したがってこの理屈を理解できないならば、がんを放置することは耐え難いことになるわけです。
その結果、PSA発見がんで監視療法を実行した場合、たとえ医者が治療の必要を認めない段階であっても、1割程度の患者が治療を希望することがあるようです(そこには担当医の言葉や態度が影響している可能性もある)。このように(人々に行きわたっているがんに対する)一般通念の効果は絶大なので、たとえ理屈がわかっている人であっても、PSAが上がってくると恐怖や不安が増大するはずです。
ですからそういう精神状態を好転させるために、治療をしてみなければならない事態も生じます。それは他の臓器のがん放置療法で時々経験する事態です。それで私は定期健診時の患者の表情や態度から不安や恐怖心を読み取ったときには、「そろそろ治療をしましょうか」と水を向け、患者の判断を待つことにしています。
局所症状のないPSA発見がんを治療するとしたら、どの方法がよいか。
臓器転移がなければ手術や放射線のどちらかにする、と考えるのが普通です。しかし私は、手術は合併症が怖くてとても勧める気にはならない。その点、放射線治療はベターとは思いますが、やはり合併症があるわけで、手術にくらべれは少しは「まし」という程度です。ですから「もどき」に対して、こちらから勧められる代物(しろもの)ではないと考えています。
すでに無意味と判定されているがん検診
ここでPSA発見がんの頻度と、PSA検診の是非について解説しておきます。
頻度を考える出発点は、国民の死因分析にあります。しかしこの点、前立腺がんが死因となることは多くなく、日本人男性死因の1%にとどまります。ところががんではなく、他の病気や事故で亡くなった男性を解剖してみると、前立腺がんが高頻度で見つかるのです。これを「潜在がん」「潜伏がん」「ラテントがん」などと呼びます。その発見頻度は高くて、50歳以上の男性の半数以上にラテントがんが見つかります。もっと詳しく調べるならば、ほぼ全員に発見される可能性があります。
ということはつまり、生きている男性のほとんどの人がラテントがんを持っているはずなのです。しかし前立腺がんで死亡する人は全男性の1%に過ぎません。つまりラテントがんのほぼ全部は、放っておいても宿主を死なせることはないのです。そのラテントがんをわざわざ見つけ出して治療へと駆り立てるのが、「PSA検診」なのです。つまりこうした検診は、健康な男性に治療を受けさせることを目的としており、当然、患者の側には利益はなく、(必要のない治療を受けることで)合併症という不利益だけが残るのです。
これに対し、検診実施側にはさまざまな利益が生じることになります。
まず検診にかかる費用は自治体や会社等など誰かが負担してくれるので、医療機関の儲けになる。検診でPSAの値が高ければ短期入院させて針生検が行なえるし、MRI等の検査代も上乗せされる。手術、放射線、ホルモン治療をすれば、その治療費、入院費、術後の定期診察・検査による診療費と、その儲けはふくらみます。そして合併症が生じればその治療費でさらに稼げるという、おぞましい仕組みまでが存在しています。
PSA検診については、大流行している本場米国で新たな動きがありました。
米政府の予防医学作業部会が、これまでに実施された5つの大規模臨床試験の結果を分析した結果、年齢、人種、家族歴にかかわらず、PSA検査の実施が死亡率を下げるとする証拠は見出せなかったとして、すべての男性に対し「検査は勧められない」とする勧告案を発表したのです。(2011年10月8日付け「朝日新聞」)
しかし米国でも日本でもPSA検診は、医療機関の経営や、医者の経済的利益にあまりにも大きく組み込まれてしまっている結果、その稼ぎで生計を立てている人々にとってはたとえば、PSA検診が2割減っただけでも大打撃なわけです。したがってどのような勧告が出ようとも、こうした医療機関が自発的にPSA検診を止めるはずはなく、むしろ逆に推進させようとするはずなのです。つまり、医者の世界も、経済的利益に関わる因習や偏見が一番正しにくく、変えにくいことなのです。
某大学病院で浸潤性膀胱がんと診断された男性は、担当医に「膀胱全摘出」を勧められました。しかし患者はそれを断り、私のところに来られました。遠方から来ているので、膀胱がんの放射線治療を行なっている最寄りの病院を紹介すると、再検査が行なわれ、その結果がんではなく「良性」と診断されたのです。
病理の誤診を防ぐために患者や家族にできることは、組織標本を借り出して、別の病院で病理検査をやり直してもらうことです。転移がんはそう間違えることはないのですが、比較的早期のがんはもちろんのこと、進行がんと言われても誤診の可能性が残るので、臓器切除と言われたら病理再検査を是非励行してください。
その場合に必要なのは、心と時間のゆとりです。
がんではセカンド・オピニオンが大事とよく言われますが、がんの恐怖があるために早く直したいと焦るあまり、別の治療法にたどり着くチャンスを失うのがほとんどなのです。ましてや病理診断をもう一度確かめてもらう気にはなりにくい。ですから再検査の時間を作るためには、心のゆとりが必要なのです。本書の目的は、がんは多少放置しても問題はなく、治療を受ける前にいろいろ確認する時間はある、ということを知らせることが一つの目的でもあります。
がん放置期間中は、がんであったことを忘れて、何も検査をしないことがベストです。(市町村や職場の検診には、しばしばPSA検査が含まれているので要注意)。そしてがんに起因すると思われる症状が出たときに、改めて検査して治療法を検討します。ただ多くの患者は、何も検査しないのは耐え難いようです。その場合、PSAを測るだけで十分なのですが、前述のように直腸診によるとPSAが誤って高く出てしまい、治療に追い込まれることになります。
PSAがいくつになったら治療を受けたほうがよいとする、合理的なデータや理由はありません。ひとたび放置治療を始めたら、症状が出ない限り、どこまでPSAが上昇しても様子を見るのが理にかなっているのです。
精神症状緩和のための治療
これまで述べてきたのは肉体面での症状ですが、精神的症状も考慮すべきです。
具体的には、がんに対する恐怖や不安がそうです。がんは怖いという一般通念がある現代社会では特に、がん患者は怯えて暮らすことになり、それは立派な精神症状と言えるでしょう。
恐怖や不安は、がんを治療しないで放置する場合に一層高まる可能性があります。
それはたとえ、「本物」や「もどき」に区別されることを知って放置されることを選んだ場合にも、不安がなくなるわけではないようです。転移はあるかないかのどちらかであり、どちらにしても治療が寿命を延ばさないという理屈が、こうした不安の感情を何とか押さえ込んでいるのが実情でしょう。したがってこの理屈を理解できないならば、がんを放置することは耐え難いことになるわけです。
その結果、PSA発見がんで監視療法を実行した場合、たとえ医者が治療の必要を認めない段階であっても、1割程度の患者が治療を希望することがあるようです(そこには担当医の言葉や態度が影響している可能性もある)。このように(人々に行きわたっているがんに対する)一般通念の効果は絶大なので、たとえ理屈がわかっている人であっても、PSAが上がってくると恐怖や不安が増大するはずです。
ですからそういう精神状態を好転させるために、治療をしてみなければならない事態も生じます。それは他の臓器のがん放置療法で時々経験する事態です。それで私は定期健診時の患者の表情や態度から不安や恐怖心を読み取ったときには、「そろそろ治療をしましょうか」と水を向け、患者の判断を待つことにしています。
局所症状のないPSA発見がんを治療するとしたら、どの方法がよいか。
臓器転移がなければ手術や放射線のどちらかにする、と考えるのが普通です。しかし私は、手術は合併症が怖くてとても勧める気にはならない。その点、放射線治療はベターとは思いますが、やはり合併症があるわけで、手術にくらべれは少しは「まし」という程度です。ですから「もどき」に対して、こちらから勧められる代物(しろもの)ではないと考えています。
すでに無意味と判定されているがん検診
ここでPSA発見がんの頻度と、PSA検診の是非について解説しておきます。
頻度を考える出発点は、国民の死因分析にあります。しかしこの点、前立腺がんが死因となることは多くなく、日本人男性死因の1%にとどまります。ところががんではなく、他の病気や事故で亡くなった男性を解剖してみると、前立腺がんが高頻度で見つかるのです。これを「潜在がん」「潜伏がん」「ラテントがん」などと呼びます。その発見頻度は高くて、50歳以上の男性の半数以上にラテントがんが見つかります。もっと詳しく調べるならば、ほぼ全員に発見される可能性があります。
ということはつまり、生きている男性のほとんどの人がラテントがんを持っているはずなのです。しかし前立腺がんで死亡する人は全男性の1%に過ぎません。つまりラテントがんのほぼ全部は、放っておいても宿主を死なせることはないのです。そのラテントがんをわざわざ見つけ出して治療へと駆り立てるのが、「PSA検診」なのです。つまりこうした検診は、健康な男性に治療を受けさせることを目的としており、当然、患者の側には利益はなく、(必要のない治療を受けることで)合併症という不利益だけが残るのです。
これに対し、検診実施側にはさまざまな利益が生じることになります。
まず検診にかかる費用は自治体や会社等など誰かが負担してくれるので、医療機関の儲けになる。検診でPSAの値が高ければ短期入院させて針生検が行なえるし、MRI等の検査代も上乗せされる。手術、放射線、ホルモン治療をすれば、その治療費、入院費、術後の定期診察・検査による診療費と、その儲けはふくらみます。そして合併症が生じればその治療費でさらに稼げるという、おぞましい仕組みまでが存在しています。
PSA検診については、大流行している本場米国で新たな動きがありました。
米政府の予防医学作業部会が、これまでに実施された5つの大規模臨床試験の結果を分析した結果、年齢、人種、家族歴にかかわらず、PSA検査の実施が死亡率を下げるとする証拠は見出せなかったとして、すべての男性に対し「検査は勧められない」とする勧告案を発表したのです。(2011年10月8日付け「朝日新聞」)
しかし米国でも日本でもPSA検診は、医療機関の経営や、医者の経済的利益にあまりにも大きく組み込まれてしまっている結果、その稼ぎで生計を立てている人々にとってはたとえば、PSA検診が2割減っただけでも大打撃なわけです。したがってどのような勧告が出ようとも、こうした医療機関が自発的にPSA検診を止めるはずはなく、むしろ逆に推進させようとするはずなのです。つまり、医者の世界も、経済的利益に関わる因習や偏見が一番正しにくく、変えにくいことなのです。