尖閣・竹島問題を生み出した米国の曖昧な態度の目的
鳩山 実は先日、私は程永華(ていえいか)・中国大使ご夫妻にお会いし、昼食をとりながらお話し合いをさせていただいたのですが、その席で彼らから、東アジア共同体構想を提唱してくれたことは本当に嬉しかったと言っていただきました。これで日中関係が進展してゆくなという期待を強く持ったということでした。
歴史的な事実だけを申し上げれば、日本政府が東アジア共同体構想を提唱している間は、少なくとも今回のような事件は起きてはいないんですね。竹島においても李明博大統領が上陸したりというようなことは起きなかったし、日韓関係も良好でした。この地域にとってはやはり、東アジア共同体というメッセージは重要だったと理解しています。いま孫崎さんから中国漁船衝突問題は日本側の作為ではなかったかというご指摘がありましたが、少なくとも菅政権になってからは、漁船衝突のような事故が起こりやすい環境になっていたことは確かです。
従ってこういった問題を解決するためには、もうひとつ大きな次元で外交関係を考えてゆく必要があると思います。日本が対米追従路線から対米自主路線に転換し、中国、韓国との協力関係を強めることが死活的に重要であるというメッセージを発してゆくことが、日本の安全にとって非常に大切なことだと思います。
2012年9月7日に、日中国交正常化40周年記念のお祭りがプリンスタワー東京で行なわれたのですが、私はそのときの挨拶で、「いまこそ40年前の賢人の知恵に学ぶべきではないか」と申し上げました。先ほど孫崎さんが棚上げ論の重要性を言われたのと同じことですが、やはり中国大使ご夫妻などは涙を流さんばかりに喜んでくださいました。
日清戦争終結の直前に、”無主の地”としての尖閣諸島を日本の領土にしていたので、尖閣諸島は下関条約には含まれていませんね。尖閣は日清戦争で奪ったものではないと一般的に日本では考えられていますが、そもそもカイロ宣言が言う「奪った」、つまり「スティール」というのはどういうことを指すのでしょうか?
孫崎 そこはいろいろ問題があるところです。
カイロ宣言では、清の時代に奪った領地は返還されることになっています。奪った・スティールかどうかは別にしても、時系列に考えれば清の時代に尖閣を日本の領土に組み入れたことは確かです。日本側は無主の地だったと言っていますが、そこに中国の管轄権が及んでいた可能性がないとは言えない。そうであれば中国から見れば奪われたとも言えるのではないでしょうか。
鳩山 日清戦争の結果奪ったのではないけれども、日清戦争の最終局面で台湾を奪うと決めると同時にこっそり盗んだと言うのですね。しかも中国はその後、1970年まで尖閣について文句を言ってこなかったので日本の領土とみなしていたのだと、日本政府は主張していますね。
孫崎 実はそこにも異論があるのですが、一切文句を言わなかったかと言えば、1951年にサンフランシスコ講和条約を結ぶ時、中国は招かれていませんでした。それに対して周恩来外相が「サンフランシスコ講和条約は違法であり、対日講和はポツダム宣言とカイロ条約を遵守すべきだ」と言ったのです。つまりカイロ宣言を遵守せよということの中に、間接的にですが尖閣の領有の主張が入っていたとも言えるのです。
植草 日本が領有権を主張する根拠にしていることが、”スティール”の概念に当てはまるのかどうか、そこに論争の余地が残るということですね。
孫崎 そういうことです。
そしてもうひとつ不思議なのは、1972年の沖縄返還に際して米国務省は、尖閣の領有についてどっちつかずの曖昧な態度を取ったことです。しかし米国防総省は国務省のそういう態度に反対し、「尖閣は沖縄の一部として米国の政権下にあったのだから、当然沖縄返還後は日本の領土だろう」と。それに対して米国務省は「中立だ」と言ったのです。ポツダム宣言によれば、四島だけと連合国が決めた島々が日本の領土ですから、連合国の中心である米国が明示しなかった以上、尖閣が日本領ではない可能性はあるわけです。つまり、日中の間にあえて「棘を刺しておく」という意図が米国にあったとも考えられます。
植草 地雷を埋め込んだ、と。
鳩山 「尖閣に領土問題は存在しない」と言ってしまうので、かえって日本の主張が十分にできなくなるのではないでしょうか。相手も明らかに自分たちの領有権を主張しているのだから、領土問題としてきちんと議論するほうが正しいと私は思います。領土問題は存在しないと言ってしまうほうが逆に不利になると思います。
孫崎 日本は竹島の問題を国際司法裁判所に提訴して解決しようとしているわけですから、尖閣も北方領土もそれを通して解決すると言ってもいいと思います。
編集部 しかし中国は、国際司法裁判所に提訴する意図はないと言っていますよね。
孫崎 基本的に、大国が領土問題を国際司法裁判所に提訴することはほとんどありません。米国も英国も提訴しないし、中国も多くの国境紛争をすべてバイ(1対1)で解決しています。つまり国際司法裁判所は西側の機関であり、バイでやったほうが自分たちの主張がちゃんとできると中国は考えているのでしょう。中国はまだ、国際司法裁判所でやるというところまでは行っていないのではないでしょうか。・・・。本当のところを言えばいま日中には、この島の問題よりもはるかに重要な課題があるだろうということなんですね。
鳩山 いま、この問題で対立することがお互いにどれほど国益を損なうか、そこに気づかないといけない。
植草 それが棚上げの発想なわけですね。この問題は一時棚上げして友好関係を維持しようということで。
編集部 少し別の角度から質問させていただきますが、たとえば孫崎さんの『戦後史の正体』について、朝日新聞書評欄(2012年9月30日)でジャーナリストの佐々木年俊尚さんが、「ロッキード事件から郵政民営化、TPPまで、すべては米国の陰謀だったという本であり、(中略)本書は典型的な陰謀史観でしかない」と書かれています。(この部分はその後朝日新聞によって訂正、削除された)
いままでのお話にあるように菅政権になってすぐ提出されたヒゲの隊長の佐藤議員の尖閣に関する質問主意書や、中国漁船衝突、その後の思いやり予算維持、武器輸出三原則緩和・・・というように、一連の出来事がリンクしていると考えることに対して、たまたまそうなっただけだ、それらの事件を裏で操作している何かがあるというのは”陰謀論”の類ではないかという指摘が、かなり根強くあることも事実です。それについてはどうお考えになりますか?
孫崎 佐藤さんの質問主意書はたまたまだったとしても、前原国交相が中国漁船に対する対応を変えたということについて、何らかの意図と結びついていると考えるのは自然なことではないでしょうか。しかも国交相になってすぐ、これまでとは違う指示を出すという行動をしたわけですから。
植草 ですからいま申し上げている事実を結びつけて考えるのを、陰謀論だと解釈されることも自由なわけです。つまり現実には、起きた一つ一つのファクトがあるだけなのです。それをどう読むかには無限の可能性がある。その時ある仮説を立ててそれらの関連性を読み解いていくわけで、こういう出来事の因果関係について、確実な証拠がそろうというようなことはないわけです。結局すべては推論でしかなく、そういう言い方をすればすべての推論は陰謀論になってしまうわけです。
ある仮説を立てて、現実の流れを読み解いていく。その推論が信じられないか、あるいは説得力があると見るかということだけなのです。客観的に見てかなり無理のあるこじつけをしているなら陰謀論でしょう。しかし客観的にみて絶対とは言えないまでも、そういう見方が成り立ちうる推論までを、すべて陰謀論として切り捨てようとするのは、逆の立場から言えば、そう推論されることを否定したいという意向を反映しているのではないかと思うのです。
編集部 よく分かりました。
米国地名委員会の竹島、韓国領の認定に反応しなかった町村官房長官の大失態
孫崎 次に竹島問題を考えたいと思います。
竹島も、当然ポツダム宣言との関連で考えなくてはいけないのですが、こちらは非常に複雑な経緯をたどっています。1946年に出された連合国最高司令部訓令(第677号)というのがありまして、その中に日本の範囲から除かれる地域として、鬱陵島、竹島、済州島が挙げられています。ところがサンフランシスコ条約締結時に韓国が、竹島を、日本が放棄する地域に入れてくれるよう要求した時、米国はこれを拒否しています。
しかも拒否するだけでなく、1951年8月12付けラスク国務次官補発、韓国大使宛ての書簡では、「獨島(どくと)を済州島とともに権利放棄の中に含めるように、との要請に関しては応ずることができない。我々の情報によれば、獨島が朝鮮の一部として扱われたことは一度もなく、1905年以降、そこは島根県隠岐島の所管にある」と回答しているのです。
ということでこの時点における法律的な日本の立場は、非常に有利な形になっているのです。いま韓国による実効支配がされていますが、(サンフランシスコ条約発効直前の1952年4月25日、韓国大統領李承晩・リショウバンがいわゆる”李承晩ラインを引いて竹島を自国領土にする。1965年日韓漁業協定により李承晩ラインは廃止されたが、竹島の実効支配はいまも続いている)わけですが、連合国側の一番重要な国である米国が、日本の領土であることを認めていたわけです。
ところがその後2008年、ブッシュ大統領の韓国訪問時に次の問題が起こります。
この時に韓国はブッシュ大統領に、竹島を韓国領と認めるようにとの激しい働きかけをします。そこでブッシュ大統領は、この問題に何らかの決着をつけるようにと、7月31日にライス国務長官に指示しました。その結果、米国政府機関である地名委員会が竹島を韓国領にするわけです。(地名委員会による竹島の帰属先は、2008年頃は主権未指定地域に変更されていた。しかしその後韓国の猛抗議により帰属先が韓国に変更された)。
米国の言い分によれば、地名委員会というのは領土問題を解決する機関ではないということなんですが、ここは米連邦の領土の地名に関して唯一の責任をもつ機関ですから、ここが竹島を韓国領と認めたということは非常に深刻なことなのです。これに対する日本の対応は、まさに外交放棄とも言える非常にお粗末なものであったのです。
鳩山 町村さんですね。
孫崎 当時の官房長官であった町村信孝さんは、会見における新聞記者の質問に対して、「米国政府の一機関がやっていることに対して、あまり過度に反応することはない」と述べたんです。
植草 李明博氏が大統領に当選したのが2007年12月ですね。
米国は反米的な盧武鉉(ノムヒョン)政権を倒して、何とか親米的な政権に移行させたかった。ですからこの李明博政権誕生に向けて米国は、相当いろいろな力を注いだのではないかと考えられます。ブッシュ訪問が2008年8月ですから、せっかく誕生させた親米的な韓国政権との関係を大事にしたいと考えるのが普通だと思います。
鳩山 まさにそうですね。
孫崎 米国地名委員会に対するこの時の町村官房長官の対応は、非常に重要なポイントです。1972年に尖閣諸島の領有権について、米国は中立の立場であるということを言っていますが、この時福田赳夫(たけお)外相は明確に「抗議する」と言い、佐藤栄作首相も不快感を表明しています。つまりこの当時の政治家は、領土問題について米国に対し、しっかりと自分たちの立場を伝えているのです。それに比べても、町村さんの対応は余りにもお粗末というほかはありません。
歴史的な事実だけを申し上げれば、日本政府が東アジア共同体構想を提唱している間は、少なくとも今回のような事件は起きてはいないんですね。竹島においても李明博大統領が上陸したりというようなことは起きなかったし、日韓関係も良好でした。この地域にとってはやはり、東アジア共同体というメッセージは重要だったと理解しています。いま孫崎さんから中国漁船衝突問題は日本側の作為ではなかったかというご指摘がありましたが、少なくとも菅政権になってからは、漁船衝突のような事故が起こりやすい環境になっていたことは確かです。
従ってこういった問題を解決するためには、もうひとつ大きな次元で外交関係を考えてゆく必要があると思います。日本が対米追従路線から対米自主路線に転換し、中国、韓国との協力関係を強めることが死活的に重要であるというメッセージを発してゆくことが、日本の安全にとって非常に大切なことだと思います。
2012年9月7日に、日中国交正常化40周年記念のお祭りがプリンスタワー東京で行なわれたのですが、私はそのときの挨拶で、「いまこそ40年前の賢人の知恵に学ぶべきではないか」と申し上げました。先ほど孫崎さんが棚上げ論の重要性を言われたのと同じことですが、やはり中国大使ご夫妻などは涙を流さんばかりに喜んでくださいました。
日清戦争終結の直前に、”無主の地”としての尖閣諸島を日本の領土にしていたので、尖閣諸島は下関条約には含まれていませんね。尖閣は日清戦争で奪ったものではないと一般的に日本では考えられていますが、そもそもカイロ宣言が言う「奪った」、つまり「スティール」というのはどういうことを指すのでしょうか?
孫崎 そこはいろいろ問題があるところです。
カイロ宣言では、清の時代に奪った領地は返還されることになっています。奪った・スティールかどうかは別にしても、時系列に考えれば清の時代に尖閣を日本の領土に組み入れたことは確かです。日本側は無主の地だったと言っていますが、そこに中国の管轄権が及んでいた可能性がないとは言えない。そうであれば中国から見れば奪われたとも言えるのではないでしょうか。
鳩山 日清戦争の結果奪ったのではないけれども、日清戦争の最終局面で台湾を奪うと決めると同時にこっそり盗んだと言うのですね。しかも中国はその後、1970年まで尖閣について文句を言ってこなかったので日本の領土とみなしていたのだと、日本政府は主張していますね。
孫崎 実はそこにも異論があるのですが、一切文句を言わなかったかと言えば、1951年にサンフランシスコ講和条約を結ぶ時、中国は招かれていませんでした。それに対して周恩来外相が「サンフランシスコ講和条約は違法であり、対日講和はポツダム宣言とカイロ条約を遵守すべきだ」と言ったのです。つまりカイロ宣言を遵守せよということの中に、間接的にですが尖閣の領有の主張が入っていたとも言えるのです。
植草 日本が領有権を主張する根拠にしていることが、”スティール”の概念に当てはまるのかどうか、そこに論争の余地が残るということですね。
孫崎 そういうことです。
そしてもうひとつ不思議なのは、1972年の沖縄返還に際して米国務省は、尖閣の領有についてどっちつかずの曖昧な態度を取ったことです。しかし米国防総省は国務省のそういう態度に反対し、「尖閣は沖縄の一部として米国の政権下にあったのだから、当然沖縄返還後は日本の領土だろう」と。それに対して米国務省は「中立だ」と言ったのです。ポツダム宣言によれば、四島だけと連合国が決めた島々が日本の領土ですから、連合国の中心である米国が明示しなかった以上、尖閣が日本領ではない可能性はあるわけです。つまり、日中の間にあえて「棘を刺しておく」という意図が米国にあったとも考えられます。
植草 地雷を埋め込んだ、と。
鳩山 「尖閣に領土問題は存在しない」と言ってしまうので、かえって日本の主張が十分にできなくなるのではないでしょうか。相手も明らかに自分たちの領有権を主張しているのだから、領土問題としてきちんと議論するほうが正しいと私は思います。領土問題は存在しないと言ってしまうほうが逆に不利になると思います。
孫崎 日本は竹島の問題を国際司法裁判所に提訴して解決しようとしているわけですから、尖閣も北方領土もそれを通して解決すると言ってもいいと思います。
編集部 しかし中国は、国際司法裁判所に提訴する意図はないと言っていますよね。
孫崎 基本的に、大国が領土問題を国際司法裁判所に提訴することはほとんどありません。米国も英国も提訴しないし、中国も多くの国境紛争をすべてバイ(1対1)で解決しています。つまり国際司法裁判所は西側の機関であり、バイでやったほうが自分たちの主張がちゃんとできると中国は考えているのでしょう。中国はまだ、国際司法裁判所でやるというところまでは行っていないのではないでしょうか。・・・。本当のところを言えばいま日中には、この島の問題よりもはるかに重要な課題があるだろうということなんですね。
鳩山 いま、この問題で対立することがお互いにどれほど国益を損なうか、そこに気づかないといけない。
植草 それが棚上げの発想なわけですね。この問題は一時棚上げして友好関係を維持しようということで。
編集部 少し別の角度から質問させていただきますが、たとえば孫崎さんの『戦後史の正体』について、朝日新聞書評欄(2012年9月30日)でジャーナリストの佐々木年俊尚さんが、「ロッキード事件から郵政民営化、TPPまで、すべては米国の陰謀だったという本であり、(中略)本書は典型的な陰謀史観でしかない」と書かれています。(この部分はその後朝日新聞によって訂正、削除された)
いままでのお話にあるように菅政権になってすぐ提出されたヒゲの隊長の佐藤議員の尖閣に関する質問主意書や、中国漁船衝突、その後の思いやり予算維持、武器輸出三原則緩和・・・というように、一連の出来事がリンクしていると考えることに対して、たまたまそうなっただけだ、それらの事件を裏で操作している何かがあるというのは”陰謀論”の類ではないかという指摘が、かなり根強くあることも事実です。それについてはどうお考えになりますか?
孫崎 佐藤さんの質問主意書はたまたまだったとしても、前原国交相が中国漁船に対する対応を変えたということについて、何らかの意図と結びついていると考えるのは自然なことではないでしょうか。しかも国交相になってすぐ、これまでとは違う指示を出すという行動をしたわけですから。
植草 ですからいま申し上げている事実を結びつけて考えるのを、陰謀論だと解釈されることも自由なわけです。つまり現実には、起きた一つ一つのファクトがあるだけなのです。それをどう読むかには無限の可能性がある。その時ある仮説を立ててそれらの関連性を読み解いていくわけで、こういう出来事の因果関係について、確実な証拠がそろうというようなことはないわけです。結局すべては推論でしかなく、そういう言い方をすればすべての推論は陰謀論になってしまうわけです。
ある仮説を立てて、現実の流れを読み解いていく。その推論が信じられないか、あるいは説得力があると見るかということだけなのです。客観的に見てかなり無理のあるこじつけをしているなら陰謀論でしょう。しかし客観的にみて絶対とは言えないまでも、そういう見方が成り立ちうる推論までを、すべて陰謀論として切り捨てようとするのは、逆の立場から言えば、そう推論されることを否定したいという意向を反映しているのではないかと思うのです。
編集部 よく分かりました。
米国地名委員会の竹島、韓国領の認定に反応しなかった町村官房長官の大失態
孫崎 次に竹島問題を考えたいと思います。
竹島も、当然ポツダム宣言との関連で考えなくてはいけないのですが、こちらは非常に複雑な経緯をたどっています。1946年に出された連合国最高司令部訓令(第677号)というのがありまして、その中に日本の範囲から除かれる地域として、鬱陵島、竹島、済州島が挙げられています。ところがサンフランシスコ条約締結時に韓国が、竹島を、日本が放棄する地域に入れてくれるよう要求した時、米国はこれを拒否しています。
しかも拒否するだけでなく、1951年8月12付けラスク国務次官補発、韓国大使宛ての書簡では、「獨島(どくと)を済州島とともに権利放棄の中に含めるように、との要請に関しては応ずることができない。我々の情報によれば、獨島が朝鮮の一部として扱われたことは一度もなく、1905年以降、そこは島根県隠岐島の所管にある」と回答しているのです。
ということでこの時点における法律的な日本の立場は、非常に有利な形になっているのです。いま韓国による実効支配がされていますが、(サンフランシスコ条約発効直前の1952年4月25日、韓国大統領李承晩・リショウバンがいわゆる”李承晩ラインを引いて竹島を自国領土にする。1965年日韓漁業協定により李承晩ラインは廃止されたが、竹島の実効支配はいまも続いている)わけですが、連合国側の一番重要な国である米国が、日本の領土であることを認めていたわけです。
ところがその後2008年、ブッシュ大統領の韓国訪問時に次の問題が起こります。
この時に韓国はブッシュ大統領に、竹島を韓国領と認めるようにとの激しい働きかけをします。そこでブッシュ大統領は、この問題に何らかの決着をつけるようにと、7月31日にライス国務長官に指示しました。その結果、米国政府機関である地名委員会が竹島を韓国領にするわけです。(地名委員会による竹島の帰属先は、2008年頃は主権未指定地域に変更されていた。しかしその後韓国の猛抗議により帰属先が韓国に変更された)。
米国の言い分によれば、地名委員会というのは領土問題を解決する機関ではないということなんですが、ここは米連邦の領土の地名に関して唯一の責任をもつ機関ですから、ここが竹島を韓国領と認めたということは非常に深刻なことなのです。これに対する日本の対応は、まさに外交放棄とも言える非常にお粗末なものであったのです。
鳩山 町村さんですね。
孫崎 当時の官房長官であった町村信孝さんは、会見における新聞記者の質問に対して、「米国政府の一機関がやっていることに対して、あまり過度に反応することはない」と述べたんです。
植草 李明博氏が大統領に当選したのが2007年12月ですね。
米国は反米的な盧武鉉(ノムヒョン)政権を倒して、何とか親米的な政権に移行させたかった。ですからこの李明博政権誕生に向けて米国は、相当いろいろな力を注いだのではないかと考えられます。ブッシュ訪問が2008年8月ですから、せっかく誕生させた親米的な韓国政権との関係を大事にしたいと考えるのが普通だと思います。
鳩山 まさにそうですね。
孫崎 米国地名委員会に対するこの時の町村官房長官の対応は、非常に重要なポイントです。1972年に尖閣諸島の領有権について、米国は中立の立場であるということを言っていますが、この時福田赳夫(たけお)外相は明確に「抗議する」と言い、佐藤栄作首相も不快感を表明しています。つまりこの当時の政治家は、領土問題について米国に対し、しっかりと自分たちの立場を伝えているのです。それに比べても、町村さんの対応は余りにもお粗末というほかはありません。