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魂が肉体に宿る「誕生のとき」

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魂が肉体に宿る「誕生のとき」

   胎児の肉体を構成する原子には固有の意識があります。
   それはうつろいやすく、気づきを伴った意識であり、原子は物質に依存することなく存在し、自己の能力とその程度に応じて物質という肉体を形作ります。したがって胎児の肉体は独自の意識を有していることになります。それは全体を形成する一部分としての単純な意識であり、それを構成する原子によって成り立っています。

   つまり、こうした胎児の肉体意識は、そこへ輪廻転生して来る人格的存在が、胎児の中に宿る前から存在していることになります。物質を形作る意識は、胎児だけでなく、岩石や植物、水や空気、そびえ立つ木々のこずえの葉っぱ一枚にさえ、すべてのものに存在しているのです。

   輪廻転生する人格的存在は、自らの好みや願望やその性質に従って、それに伴ういくばくかの保護を携えて新しい胎児の肉体に入ります。そのプロセスには個人差があり、他の転生での体験にも左右されますが、その影響は本人の感情的性質によるものが大きいようです。そうした性質は必ずしも直前の転生のものとは限らず、過去世における経験から来る感情的緊張のようです。

   胎児の体内に入る際に用いられる方法はさまざまです。
   子どもとして誕生する人格的存在と、親になる人格的存在が強い絆で結ばれている場合には、子どものほうが受胎の時点ですぐに胎児の肉体に入る場合もあります。しかしこうした場合でさえも、その意識のほとんどの部分は、未だ「中間生」(霊界)の次元に留まっています。しかしやがて、中間生に合わせた意識を保つことが難しくなってきます。

   中間生(霊界)からの人格的存在が、受胎と同時に胎児に宿る場合というのは、まず例外なく、その親と子どものあいだに過去世からの繋がりがあるか、あるいは胎児の人格的存在に非常に強い執念にも似た地上の生活への願望がある場合のいずれかです。つまり後者の場合には、その人格的存在に特定の目的がある場合と、未だに地上での生に対する執着が強い場合があるのです。

   これは必ずしも有害というわけではありません。
   その願望の強さのゆえに、その人格的存在の意識は地球世界を志向しているということと、そのゆえに物質的体験に十分専念できるはずであり、また地球における環境が自分の能力を発達させるために、充分豊かな次元であるということを実感できるからです。

   受胎の時点で胎児の肉体の中に入る人格的存在のなかには、動機にかなりその価値を認めにくい場合があります。たとえばその動機が欲望であったり、生前に解決できなかった問題に関する執着からくる願望などが挙げられます。またかつて地上世界に存在しながら、集中して一意専心して生きなかった人の場合、胎児の体内に完全に入りきる時期を遅らせたり、胎児の肉体から常に距離を置いて存在していることもあります。

   それはあなた方の、人生のもう一つの先端である「死」を迎える時においても同じことが言えます。つまり物質的な生命に向けられていた意識の焦点を外してしまった結果、肉体の意識だけを置き去りにして逝(ゆ)く人もいれば、最後の瞬間まで肉体に留まる人もいます。誕生後の幼児期の初期においては、人格存在の意識の焦点は常に肉体に固定されているわけではありません。

   いずれの場合においても、決定は前もって下されています。
   つまり転生する人格的存在には、自分が「待っている受胎」がいつ起きるかがわかっています。瞬時にその胎児の肉体に入るかどうかは別にしても、人格的存在(魂)には受胎の瞬間や受胎が起きるある場所の肉体に、否応なく引き寄せられていきます。そして人格的存在である魂は、受胎するよりもかなり前から、将来自分の親になる人々の環境に、引き寄せられるように時おり訪れる場合があります。

   こうした見地から見た場合、未来からの幽霊のようであっても、あなた方の家に彼らが出現する時には、過去からの幽霊と同じくそれはリアルな存在なのです。

   胎児の肉体は、何かによって満たされるのを待っている空虚な抜け殻などではありません。特に受胎して後は、新たにやって来た人格の魂がそこを出たり入ったりしながら、辺りを浮遊し、出入りはますます頻繁になります。誕生の衝撃は本人にいくつかの影響をもたらし、物質界へと一気に押し出すことになります。誕生以前の状況はかなり一定していますが、誕生に際し、そのすべてが突然終わりを告げ、胎児の肉体意識が新たな刺激的状況を迎えます。

   誕生以前の胎児の肉体意識と母体との間には、生物的テレパシーによる深遠な一体性があり、胎児はそれによって豊かに育まれ支えられています。生きた細胞の間の意思伝達は、あなた方が想像する以上にはるかに奥深いものです。胎児の肉体意識「だけ」を考慮に入れた場合、誕生前の母体との一体性はほぼ完璧と言えます。

   新しい意識として胎児の肉体に入った人格存在は、安定性を得るまでしばらくの時間を要します。たとえば幼い子どもが眠っている時、魂はいとも簡単に、しかも頻繁に肉体から出ていきます。なかには肉体との一体化が、他者と比べて完璧に行なえる人がいます。それが物質的現実に対する集中度のことで、そうした期間が1週間という場合もあれば30年という場合もあります。意識の集中度は、最高の時期を過ぎると次第に弱まっていき、自覚がないまま意識の別のレベルへの移行が始まります。

   人格存在と肉体との結びつきは、少しずつ強靭さを増していきます。
   なかにはある独自の理由から、あまり見た目が好くないと言えるような肉体を選ぶ場合もあります。その魂はそうしたことから、自分の肉体によく馴染むことはないかもしれませんが、それもまた自分が選択した目的を肉体はきちんと果たしているのです。しかし肉体とそれをまとう魂との間には、常に距離感がつきまとうことでしょう。

   すでに述べましたが、受胎の時点で肉体に入る人というのは、ほとんどの場合、物質的存在になることを強く望んでいます。ですからそうした人は他の人よりも発育がよく、個性も極めて早いうちからはっきりと現われます。そして新しい肉体をよく把握し、早期にその性質を形作ってしまうのです。彼らは物の掌握にも積極的で、肉体内にしっかり留まり、最期においても瞬時に逝ける事故死や、眠ったままの逝去、あるいは病死にしても、一瞬のうちに去る形を選ぶようです。一般的に彼らは物質(もの)の扱いに長(た)けているのです。

   そうした人々は感情的でもあります。
   彼らが自らの問題に取り組むやり方は直接的であり、時に性急であり、理解しやすいものです。彼らは地上でもたらされる素材を利用して、自らの考えを上手く物質的な事柄へと変換させていきます。彼らは考案者であり、ものを創りだす人であり、それを望む形に変えていくことに従事しています。

   そして一方で、「原則として」、誕生の瞬間まで胎児の肉体に入らない人の場合は、前者の特殊なケースから見た場合、物質という物の扱いにそれほど長(た)けているわけではありません。もしも次のような表現を用いることが許されるならば、そうした人は平凡、あるいは標準的であると言えるでしょう。

   さて、自ら選択した新しい肉体との在り方であるにもかかわらず、その在り方を出来る限り長く拒否し続ける人もいます。そうであっても誕生の瞬間にはある程度その場に居なければならないわけですが、誕生の瞬間であっても新生児との完全な一体化を免れることも可能なのです。そうした人は、なかばしぶしぶ新しい形態に入ったわけなので、またそこから出て周囲に浮かんでいたりします。

   そういう態度には多くの理由が考えられます。
   人格存在たちの中には、肉体に閉じ込められるよりは中間生にあるあり方の方を特に好んでいたり、物質的肉体を通して理論的問題を解決する必要を感じていなかったりします。また物質的肉体というものが、思っていたよりも必要に応えてくれないことや、別の他の現実的存在の在り方の方が、効率的に進化できるということに気づいてしまう場合もあります。

   自分の性質が原因でありながら、自分と物質的肉体存在との間に一定の距離を起きたがる人もいます。そうした人は、やたらに象徴的なことに関心があったり、地上の生活を極めて経験主義的なものだけと見なし、その結果、地上での生活をいわば偏見に近い考え方とともに取り組むことになります。彼らは物を扱うことにはそれほど興味がなく、むしろ観念や思想が物質を通してどのように現われるかに関心があるのです。一般的にそうした人は、常に哲学や思想という、実体のないものにより精通していきます。

   いく分同じような資質を持っている詩人や芸術家の人々は、この物質的地上に生きる存在として、その物質的価値を彼らよりはより深く理解しています。

   このように自らの肉体に対する態度や感じ方は、それぞれであることがわかります。ゆえに転生における身体的特徴もさまざまな選択肢があり、全体的自己における総合的な好みの特性があります。たくさんの輪廻転生を通して生きてきたさまざまな人生にも、それぞれの特色があるのです。

   人格的存在である魂が、どのように物質的肉体を去るかを論じることなく、誕生に際し、いつそこに入るかを論じることはできません。なぜならこうしたすべてのことは、その人格の持つ特質や物質的現実に対する態度と大きく関わっているからです。

   未来の転生についての決断は、中間生(霊界)においてだけでなく、すでにいずれかの転生における夢見の状況においても行なわれている可能性があります。ですからたとえばあなたにしても、次回の転生における自分の状況をすでに決定している可能性があるのです。そして次回のあなたの両親になるはずの人は、今のあなたから見ればまだほんの子どもであるかもしれず、あるいは今の時間的概念からすれば、まだ生まれてきていないかもしれません。しかしそれでも、そうした取り決めをすることはできるのです。



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