うつ状態は薬では治せない ⑧
何度も述べるようだが他の医療分野と違い、精神科診断には科学的根拠は何もなく、ただ行動や思考の傾向によって医者の主観で判断するだけであるが、こんないい加減な診断体系が他にあるだろうか? だからこそ薬害や虐待、差別というものが起きるし、それを利用した疫病利益も発生するのである。その疫病利益であるが例として、たとえば働きたくない人たちが自閉症の基準さえ満たしていないにもかかわらず、自らをアスペルガーだと名乗ったりするケースが多いのだ。つまり働きたくない理由として都合がいいからである。
他にも、自分を認めて欲しいがために、発達障害という立場を利用する人間も多い。
自ら発達障害だと名乗りながら堂々と講演までする人がいるが、自己優遇もはなはだしく、本来定義にのっとれば、講演などできないくらいに先天的に社会適応力がなく、強迫性も強いからこそ発達障害なのである。自閉症協会の人間が自分を自閉症だと名乗りながら講演をするなど、もはや笑い話でしかない。
現在では多くの精神科医が、以前よりも発達障害の「中身」という実情を理解するようになってきた。その「中身」とは、その疾患が自分たちに長期的な儲けをもたらす可能性があることと、自らかかわる精神医学の曖昧さというごまかしを隠蔽できる作用があること、そして親と共同で自分たちの望むように患者をコントロールできることである。つまり、発達障害という概念そのものが、病気でも何でもない人を精神科に連れ込む「最高の餌」になることを理解し始めたのである。
その結果多くの患者や家族が、私の子供は発達障害でしょうか、と精神科医の門をたたくようになってきている。これらのすべてにおいて言えることは、発達障害の概念を余りに広く適用しすぎているために、何もかもがそうであるかのように思わせる混乱を招いており、まさにそれこそが精神科の詐欺の温床となっているのだ。こうしたことは決してやってはならないことであり、この概念を本来のものに狭め、そしていわゆる本当の自閉症だけを福祉と教育にうまく組み込まねばならない。それ以外に医療や福祉としてできることはないのである。
「うつ病」とは脳のどこの疾患なのか?
「うつ病」。こんないい加減でおかしな病名はない。
しかし今や、この言葉をあらゆる日本人が使っている。これらはすべて、製薬会社と大手メディアの洗脳がもたらしたものである。「うつ」という状態は確かに存在するだろう。それをなぜ私はおかしいと言うのか。なぜなら気分が沈む、やる気がしないといった状態を「うつ病」と呼ぶのであれば、そんなものは誰にでも訪れる精神状態であるし、それを病気であるというにはあまりに気分的で感覚的過ぎることであるからだ。
また一方で、不愉快さから暴れたり、しかし好きな遊びはできる、ただ仕事だけができないという状態を、精神医学の教科書的にはうつ病(新型うつ病という)と診断するようであるが、これもおかしなことである。もし仮にうつ病というものが存在するならば、それは気力体力がともに低下しきっていて何もできない状態にあることをさすのであり、それが暴れたりイライラしたり、リストカットしたりできる状態の人間をうつ病などとは言わないのである。つまりこれは、医師、患者双方の拡大解釈の最たるものでしかないのである。
一昔前には、うつ病を「わがままと呼ぶな」という意見が幅を利かせていた。
つまり、うつ病は脳の疾患であるので自分でどうにかできる代物(しろもの)ではないのだと言っていたわけだが、では脳のどこの疾患なのか、何が原因なのかと聞かれても答えられるものはいない。うつ病にはセロトニンの不足が関係していると多くの医師が訴えて、メディアもそれを支持してきた。しかしこのことは脳科学的にはすでに否定されている。
しかもそもそも医療現場においても、セロトニン濃度を計測することさえが困難であり、
そうであるにもかかわらず、精神医療においては治療と称してセロトニンを上昇させる薬が使われている。今や、セロトニン理論は何の根拠もない、単なる仮説でしかないのである。このことはうつ病の理論そのものが非科学的であるという証明である。しかし注目すべきは、セロトニン濃度が低くないのにセロトニンを上げる薬を使った場合どうなるのか、ということである。そこには悲劇的な結果が待っているのだ。
たとえば2010年11月に、サンディエゴで開かれた北米神経科学会で4件の発表が行なわれた。それは幼年期に精神病の薬物治療を受けると、脳の正常な発達をどの程度妨げるかを調べた研究発表であった、それによると、「幼児期」あるいは「胎児期」に精神治療薬を使用した場合、それが比較的短期間の使用であっても、成熟して大人になったのちの脳の機能に障害が見られたという。
マウスの胎児脳に、抗うつ薬シタロプラム(商品名セレクサ)がどのように影響するかについて発表したのは、ワシントン大学の研究者であった。彼は、胎児発育の過程で重要な役割を持つSSAという神経活動が、シタロプラムの投与によって変化することを発見したのである。そしてこの研究者は、「抗うつ薬の投与は、胎児の後脳の発達に有害な影響が及ぶ可能性を示唆(しさ)する」と結論づけた。
またメリーランド州聖マリアカレッジの研究者によると、子供の雄マウスに生後2週間にわたり、乳を通して抗うつ薬フルオキセチンに被爆させ、その後は大人になるまで何もせずそのままにしておいた。成長後、このマウスは他の正常なマウスに比べ、はるかに行動がぎこちなかったと報告している。
さらにメリーランド大学とレスプリッジ大学(カナダ)の関連した二つの研究では、オランザピン(ジプレキサ)を幼いマウスに投与して調べた結果、成長後、これらのマウスには「作業記憶に有害な障害があった」とし、「これらのデータはオランザピン(ジプレキサ)の青年期の投与は、長期の行動欠陥パターンを引き起こすことを示唆する」と結論した。
これらの研究は、こうした薬に被爆することがたとえ短期間であっても、永続的な欠陥を引き起こす可能性があることを懸念させるものである。このように精神薬を投与すればするほど脳には不都合が生じるわけであるが、もちろんこのことはマウスだけの話ではない。たとえば以下に例を挙げるが、このような論文はきりがないほど膨大に存在する。海外の事例においては、特に日本で販売されているパキシルやルボックス、デプロメールなどの被害は著しいものがある。
うつ病患者148人を対象にイギリスで行なわれた研究では、服薬していない患者群は6ヶ月で症状が62%軽減したのに対し、投薬治療群ではその半分のわずか33%であった。
オランダの研究では、抗うつ剤による薬剤治療を受けずに回復した患者は、76%でその後一度も再発しなかったのに対し、抗うつ剤投与を受けた患者では50%であった。
カナダでは9508人のうつ病患者を対象に行なわれた研究では、うつ状態であった期間が、投薬を受けた患者では年平均19週間であったのに対し、薬剤を服用しなかった患者は11週間であった。この研究結果から、「抗うつ薬による治療は、気分障害の長期化を悪化させる可能性がある」とする仮説が裏付けられたと結論している。
いま、うつ病と呼ばれている多くの人が、ただのノイローゼであったり社会ストレスによるものでしかなく、また一部分は、(たとえ人でなし、医師失格と言われようが)わががま病である。しかもそれらが全て混同されてうつ病診断とされており、これだけが社会病として扱われているがために、治らない数が圧倒的に多いのである。確かにうつ状態というものは存在するだろう。しかしそれは病気ではなく、その症状の起き始めた時期における出来事や理由を追ってゆけば、原因のわかるものがほとんどなのである。
他にも、自分を認めて欲しいがために、発達障害という立場を利用する人間も多い。
自ら発達障害だと名乗りながら堂々と講演までする人がいるが、自己優遇もはなはだしく、本来定義にのっとれば、講演などできないくらいに先天的に社会適応力がなく、強迫性も強いからこそ発達障害なのである。自閉症協会の人間が自分を自閉症だと名乗りながら講演をするなど、もはや笑い話でしかない。
現在では多くの精神科医が、以前よりも発達障害の「中身」という実情を理解するようになってきた。その「中身」とは、その疾患が自分たちに長期的な儲けをもたらす可能性があることと、自らかかわる精神医学の曖昧さというごまかしを隠蔽できる作用があること、そして親と共同で自分たちの望むように患者をコントロールできることである。つまり、発達障害という概念そのものが、病気でも何でもない人を精神科に連れ込む「最高の餌」になることを理解し始めたのである。
その結果多くの患者や家族が、私の子供は発達障害でしょうか、と精神科医の門をたたくようになってきている。これらのすべてにおいて言えることは、発達障害の概念を余りに広く適用しすぎているために、何もかもがそうであるかのように思わせる混乱を招いており、まさにそれこそが精神科の詐欺の温床となっているのだ。こうしたことは決してやってはならないことであり、この概念を本来のものに狭め、そしていわゆる本当の自閉症だけを福祉と教育にうまく組み込まねばならない。それ以外に医療や福祉としてできることはないのである。
「うつ病」とは脳のどこの疾患なのか?
「うつ病」。こんないい加減でおかしな病名はない。
しかし今や、この言葉をあらゆる日本人が使っている。これらはすべて、製薬会社と大手メディアの洗脳がもたらしたものである。「うつ」という状態は確かに存在するだろう。それをなぜ私はおかしいと言うのか。なぜなら気分が沈む、やる気がしないといった状態を「うつ病」と呼ぶのであれば、そんなものは誰にでも訪れる精神状態であるし、それを病気であるというにはあまりに気分的で感覚的過ぎることであるからだ。
また一方で、不愉快さから暴れたり、しかし好きな遊びはできる、ただ仕事だけができないという状態を、精神医学の教科書的にはうつ病(新型うつ病という)と診断するようであるが、これもおかしなことである。もし仮にうつ病というものが存在するならば、それは気力体力がともに低下しきっていて何もできない状態にあることをさすのであり、それが暴れたりイライラしたり、リストカットしたりできる状態の人間をうつ病などとは言わないのである。つまりこれは、医師、患者双方の拡大解釈の最たるものでしかないのである。
一昔前には、うつ病を「わがままと呼ぶな」という意見が幅を利かせていた。
つまり、うつ病は脳の疾患であるので自分でどうにかできる代物(しろもの)ではないのだと言っていたわけだが、では脳のどこの疾患なのか、何が原因なのかと聞かれても答えられるものはいない。うつ病にはセロトニンの不足が関係していると多くの医師が訴えて、メディアもそれを支持してきた。しかしこのことは脳科学的にはすでに否定されている。
しかもそもそも医療現場においても、セロトニン濃度を計測することさえが困難であり、
そうであるにもかかわらず、精神医療においては治療と称してセロトニンを上昇させる薬が使われている。今や、セロトニン理論は何の根拠もない、単なる仮説でしかないのである。このことはうつ病の理論そのものが非科学的であるという証明である。しかし注目すべきは、セロトニン濃度が低くないのにセロトニンを上げる薬を使った場合どうなるのか、ということである。そこには悲劇的な結果が待っているのだ。
たとえば2010年11月に、サンディエゴで開かれた北米神経科学会で4件の発表が行なわれた。それは幼年期に精神病の薬物治療を受けると、脳の正常な発達をどの程度妨げるかを調べた研究発表であった、それによると、「幼児期」あるいは「胎児期」に精神治療薬を使用した場合、それが比較的短期間の使用であっても、成熟して大人になったのちの脳の機能に障害が見られたという。
マウスの胎児脳に、抗うつ薬シタロプラム(商品名セレクサ)がどのように影響するかについて発表したのは、ワシントン大学の研究者であった。彼は、胎児発育の過程で重要な役割を持つSSAという神経活動が、シタロプラムの投与によって変化することを発見したのである。そしてこの研究者は、「抗うつ薬の投与は、胎児の後脳の発達に有害な影響が及ぶ可能性を示唆(しさ)する」と結論づけた。
またメリーランド州聖マリアカレッジの研究者によると、子供の雄マウスに生後2週間にわたり、乳を通して抗うつ薬フルオキセチンに被爆させ、その後は大人になるまで何もせずそのままにしておいた。成長後、このマウスは他の正常なマウスに比べ、はるかに行動がぎこちなかったと報告している。
さらにメリーランド大学とレスプリッジ大学(カナダ)の関連した二つの研究では、オランザピン(ジプレキサ)を幼いマウスに投与して調べた結果、成長後、これらのマウスには「作業記憶に有害な障害があった」とし、「これらのデータはオランザピン(ジプレキサ)の青年期の投与は、長期の行動欠陥パターンを引き起こすことを示唆する」と結論した。
これらの研究は、こうした薬に被爆することがたとえ短期間であっても、永続的な欠陥を引き起こす可能性があることを懸念させるものである。このように精神薬を投与すればするほど脳には不都合が生じるわけであるが、もちろんこのことはマウスだけの話ではない。たとえば以下に例を挙げるが、このような論文はきりがないほど膨大に存在する。海外の事例においては、特に日本で販売されているパキシルやルボックス、デプロメールなどの被害は著しいものがある。
うつ病患者148人を対象にイギリスで行なわれた研究では、服薬していない患者群は6ヶ月で症状が62%軽減したのに対し、投薬治療群ではその半分のわずか33%であった。
オランダの研究では、抗うつ剤による薬剤治療を受けずに回復した患者は、76%でその後一度も再発しなかったのに対し、抗うつ剤投与を受けた患者では50%であった。
カナダでは9508人のうつ病患者を対象に行なわれた研究では、うつ状態であった期間が、投薬を受けた患者では年平均19週間であったのに対し、薬剤を服用しなかった患者は11週間であった。この研究結果から、「抗うつ薬による治療は、気分障害の長期化を悪化させる可能性がある」とする仮説が裏付けられたと結論している。
いま、うつ病と呼ばれている多くの人が、ただのノイローゼであったり社会ストレスによるものでしかなく、また一部分は、(たとえ人でなし、医師失格と言われようが)わががま病である。しかもそれらが全て混同されてうつ病診断とされており、これだけが社会病として扱われているがために、治らない数が圧倒的に多いのである。確かにうつ状態というものは存在するだろう。しかしそれは病気ではなく、その症状の起き始めた時期における出来事や理由を追ってゆけば、原因のわかるものがほとんどなのである。