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中岡慎太郎考(29) 最終回

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中岡慎太郎考(29) 最終回

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誠に我神州危急存亡、今日に至りて極まれり。いやしくもその国民たる者、あに傍観すべけんや。誠に古人言う所のごとく、村ある者は村をなげうち、家財ある者は家財をなげうち、勇ある者は勇を振い、知謀ある者は知謀を尽くし、一技一芸ある者はその技芸を尽くし、愚なる者は愚を尽くし、公明正大、各々一死をもって至誠を尽くし、然る後政教立つべき也。武備充実すべき也。国威張るべく、信義外国に及ぶべき也。

(時勢論 論策四より)

土佐藩に対し、草奔崛起を説く時勢論の最終稿である。

王政復古の時は近い。その先兵となり、戦死覚悟で天皇のために戦えと...彼は叫び続ける。薩長の兵の上洛に伴い、これに呼応して遊撃的に連動する...彼自身が組織する陸援隊の総数も三百を超えれば...決して馬鹿にならない勢力となり得るのだ。とにかく、倒幕側は一人でも多くの兵士を求めている。薩長合わせてもせいぜい3,500程度。いかに最新兵器で武装されているとは言え、15,000を軽く超えるであろう幕府軍と戦うには、数的劣勢は否めない。

(土佐じゃ。何としても土佐が欲しい...。)

乾の率いる軍団がこれに加われば、5,000近い軍団となり、士気と火力の差でもって幕府軍を圧倒出来ると慎太郎は読んでいる。

その前に立ち塞がる壁は...山内容堂、後藤象二郎、そして坂本龍馬である。

慶喜が大政を奉還した事により、倒幕派は徳川を叩く論理的根拠を失ってしまった。戦端を開く大義名分が整わずにいた。この論理矛盾を盾に、土佐は幕末の最終段階において台風の目となりつつある。

(何を考えとるがじゃ...。)

国許では、容堂によって乾(板垣)退助が更迭。軍事の権を取り上げられてしまった。土佐藩内における後藤象二郎~山内容堂ラインの目指す所は、もはや明確である。【大政奉還後の無血革命】...。そのゴースト・ライターたる龍馬も、この時期に至って慎太郎との主義の違いが明確な物となった。

(まだ、奥の手があるがぜよ!)

中岡慎太郎は諦めてはいない。彼が結びつけた宮中の両翼...三条と岩倉によって、会議の場にて容堂を叩き潰す...恫喝と、暗殺を含めたプレッシャーでもって藩論の矯正を無理強いする。議論のどうの等、最早眼中にはない。力でもって捩じ伏せ、戦争を起こすのだ。大久保利通は、既に容堂を追って土佐に向かった。何が何でも土佐を中央政界に引きずり出し、白黒をつけさせる為だ。

この期間、徳川救済の為に立ち上がった土佐藩に対し、幕府は様々な便宜を図っている。政治犯の釈放もその一つである。

先年、長州を断罪する制札を蹴倒し、居合わせていた新選組と乱闘、重傷を負わされ投獄されていた宮川助五郎が釈放されると言う。五十人組の総頭であった彼は、もちろん慎太郎と旧知である。

(この大物だけは、うち(陸援隊)が引き取るぜよ。)

この日、慶応三年(1867年)十一月十五日、中岡慎太郎は宮川の身柄引き取りに関して、龍馬サイドの了承を受けるべく、龍馬の京における寓居近江屋を訪ねた。風邪気味の龍馬は、近江屋の主屋の二階に移っていた。

ここからの描写は...

私ごときが描くのは恐れ多い。

従って、二人の人物の談話をもって埋める。(この書庫の冒頭には、司馬遼太郎氏の【竜馬がゆく】のラストシーンをそのまま載せてあるので、興味のある方はそちらも一読頂きたい。)

中岡慎太郎は、事件の際重傷を負ったものの、二日間生き延びた。同志によって救い出され、事件の顛末について答えているので、それをそのまま伝える。




以下、谷干城講演より。



そこで、まあ一体どういう始末であったかと(中岡に)聞いてみると、実は今夜お前(谷)の方へ行ったが、お前が留守であったから、坂本の所へ来て二人で話しおるうちに、
『十津川の者でござる。どうぞお目にかかりたい。』
と言うてきた。そこで取次の下僕が手札を持って来る。中岡は手前におって、坂本は丁度床をうしろにして前におった。それで二人で行灯へ頭を出して、その受け取った手札を見おる。読む暇はありませぬ。見おるところに、下僕が上がって来るについて、(刺客が)すっと上がって来た。そして、やにわに、
『こなくそ』
と言って斬った。それで前におったのが中岡である。(中略)自分(中岡)もすぐに短刀を取ったけれども、いかんせん、それを取ったなりで抜く事は出来ぬ。こう振り回し、向こうは後ろへしさり、しさり、なぐられた。そこでもう手は効かぬようになったから、ただ向こうに武者ぶりつこうとすると、両足を殴られてしまった。それで足が立たぬようになって、仕方がないから、そのまま斬らせておくより仕様がない。そのまま倒れておった。そうすると、
『もうようい、もうよい。』
と言うて出て行った。坂本が倒れていたが、ずっと起き上がって、行灯を下げて、梯子段のそばまで行った。そしてそこで倒れて、
『石川、刀はないか、刀はないか』
と二声、三声言うて、それでもう音がないようになった。





以下、長年の腹心であった陸援隊の田中光顕の口述。




十五日の夜、自分(田中)は白河の陸援隊にいたが、菊屋峰吉というのが急を報じて来たので、直ちに白河邸を駆け出し、それから河原町に馳せつけ、醤油屋(近江屋)の二階へ上がってみると、下僕の藤吉は上がり口の間に横ざまに倒れ、奥の間に入ると坂本と中岡が血に沈んで倒れている。その時、坂本は眉間を二太刀深くやられて脳漿が飛び出て、はやこと切れていたが、中岡は未だ斬られながら精神は確かで、刺客乱入の模様を語って言う。
『突然、二人の男が二階へ駆け上がってきて、斬り掛かったので、僕はかねて君からもらっていた短刀で受けたが、何分、手もとに刀が無かったものだから不覚をとった。そうして坂本に斬りかかったので、坂本は左の手で刀を鞘のまま取って受けたが、とうとうかなわないで頭をやられた。その時、坂本は僕に向かって、もう頭をやられたから駄目だと言った。』

『僕もこれくらいやられたから、とても助かるまい。』
と話をせられたのに対し、自分は中岡を励まし
『長州の井上聞多は、あれほど斬られたけれど、なお生きているから、先生も気を確かにお持ちなされ。』
と言ったけれども、中岡もとうとう翌朝(実際は翌々朝)絶命したのは返す返す残念なことであった。




中岡慎太郎の最後を見取ったのは、薩摩藩士吉井幸輔である。彼は、
『薩、長、芸三藩の兵が、西宮に到着しようとしている。倒幕の一挙は日も迫っている。どうか、意を強うされよ!』
と励まし続けた。慎太郎は苦しみながらも、時に微笑し、部下の香川敬三を呼び寄せると次の様に語った。
『我がために、岩倉卿に告げて欲しい。王政復古のこと。一にかかって卿の御力に依るのみである。』

全身に十一カ所の深手を負い、出血はおびただしかった。脳に達した傷により、嘔吐を繰り返し...その命は徐々に削り取られて行く。彼はうわ言の様に力の無い声で繰り返し、繰り返し呟いた。

『速やかに倒幕の挙を決行せよ。遅れをとれば、かえって敵のために逆襲されるであろう。同志の奮起を望む。倒幕を...。』



これが、この男の二十九歳と七ヶ月の人生の最後であった。



王政復古の大号令に至る、たった二十日前の出来事である。



どんな危機に直面しようとも、周りの同志や、友が諦め、あるいは殺されてしまっても...何度でも、何度でも立ち上がり、決して諦める事をしなかった...最強の男の物語を、ここに終える。

壮絶なまでの人生であった。一本の勤王刀の様な...真っ直ぐで、カミソリの様に鋭く、威厳に満ちた人生であった。

筆者は思う。中岡慎太郎とは、この時代が生み出した...日本人に進化を促すために誕生した、突然変異的遺伝子の様な存在では無かったか。時代は、日本人に飛び出せと命じた。彼はそれを王政復古と言う形態でもって翼を与え、飛び立たせて見せた。

司馬遼太郎は、坂本龍馬をして【この国の歴史の混乱を収拾するために、この世に下された者】と評したが、中岡慎太郎もまた然りである。その余りにも強烈な皇国史観は、人によっては軍国主義を連想し、嫌悪感を抱くかも知れない。だが、この人物もまた懸命に日本の未来を摸索し、その時点におけるベストな解答を、王政復古の中に求めたのである。




サッカーに例えて書き始めた作品だ。最後もサッカーのシーンになぞらえて...美しく大団円と行きたい。









後半も40分を過ぎ、チーム土佐は追い詰められていた。切れるカードは全て切り、刻々と試合終了の時刻は近づいていた。

ここに到るまで、このチームにはいくつもの危機があった。内紛、主力選手の入れ替え、戦術の見直し。中岡慎太郎と坂本龍馬が代表に呼ばれるまで、幾つもの紆余曲折があり、最後の最後までその人選はもめた。しかし今...チーム土佐は初めて一つになりつつある。

スタンドには、前監督山内容堂、引退したストライカー武市半平太の顔も見える。彼等もまた、声を枯らして声援を送っている。

この瞬間、フィールドでボールを支配していたのは、たった二人の男であった。

坂本龍馬と、中岡慎太郎。

この無名の二人のMFが、スタジアムを魅了し、熱狂させる。その柔らかなボールタッチと、相手を置き去りにする華麗なドリブル。中岡がスペースを作り、坂本が縦横無尽にパスを繰り出す。この二人の間で、まるでキャッチボールの様に正確なパスが繰り返され、その度に全てのディフェンダーが撹乱される。

『あいつら...誰ぜよ!?』

熱狂するサポーターのヒートアップをよそに...涼しい顔をしてビッグネームを抜きさって行く。

今、フィールドで最も輝いているのは、ビッグチームのスーパースター達では無い。西郷でも、桂でも、徳川慶喜でも、大久保でも無い。

龍馬がゆく。

その後方30m、逆サイドを慎太郎が駆け上がる。

閃光の様なパスと、稲妻の様に炸裂するシュート。

極上のツインヘッドが猛獣の群れを切り裂いて行く。






ロスタイム。

もはや土佐に時間は残されてはいなかった。

恐らく、これが最後のプレーとなるであろう。

ゴール前25mで得た、フリーキック。

ボール前に立つ、坂本龍馬を見つめ、中岡慎太郎が歩み寄りながら言う。

『龍馬。ここは、わしぜよ。わしに打たしちゃりや。おんしの無回転より、わしの直球ぜよ。跳ね返っても、退助が居る。あいつが詰めよるき、絶対に決めちゃる!』
ややあって、龍馬は染み渡る様な笑顔を見せ、こうつぶやいた。
『慎の字。ここは引けんぜよ(笑)。この角度、この距離...わしの距離じゃ。行かしてくれや...中岡。』
『...。』

数秒間、険しい表情で龍馬を睨みつけたが、中岡慎太郎は大きくかぶりを振り...ややあって再び龍馬を見つめた。そして汗を一拭いすると、白い歯を覗かせ満面の笑みを浮かべた。

『この海賊王め!よっしゃ、決めたれや龍馬。あのネットの横ッ面に、おんしの魂を叩きつけちゃれ!』






世界は見た。

不規則な軌道を描きながら、ゴールの左隅に吸い寄せられて行く魔法の一撃を...。

後世【大政奉還】と名付けられたその無回転シュートは、全ての日本人に向け発せられた奇跡の弾丸であった。

ネットにボールが突き刺さり、歓呼の叫びがスタジアムに爆発する。

歓喜の輪は、いつまでも、いつまでも折り重なり...渦となってフィールドを埋め尽くす。その中心には、満面の笑みを浮かべて天に拳を突き上げる坂本龍馬と、はにかんだ笑みで彼を抱え上げる中岡慎太郎の姿があった。

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